福島県産木材が世界中からの万博客をお迎え:大阪・関西万博のシンボル・大屋根を支える浪江町「ウッドコア」の挑戦
ウッドコアは当初、2020東京五輪前の資材需要を見込んで設立された。それが、FLAM建設予定地の変更に加え、コロナ禍で海外製機材の搬入やセッティングが遅れたことで、稼働開始時期が大幅にずれ込んでしまったのだ。 ただ、「今となってみれば、最初の仕事が大屋根の木材で良かった」と朝田さんは考えている。スタッフは新しい工場で、日本に初めて導入された機材を操らねばならない。大屋根用の資材の場合、同じものを大量に生産するので、作業を覚えやすく、その期間に製造ラインの効率化を図り、従業員の持ち場なども固められたという。さらに「万博のシンボルで使われることもあり、最初からスタッフのモチベーションが高かった。おかげさまで、現在はスムーズに運営できている」と笑顔で語る。
福島、浪江の林業を絶やさない
工場を案内しながら、朝田さんは折に触れて「この町の林業を途絶えさせてはいけない」と口にした。福島県は全国第4位の森林面積を持つ。浪江町でも江戸時代、町北西部の津島地区に自生する「津島松」が銘木として知られるなど、長きにわたって林業が盛んだった。 1912(大正元)年創業の朝田木材産業は、100周年を目前にして東日本大震災に見舞われた。原発事故の影響で、浪江を離れることを余儀なくされ、朝田さん一家は千葉にある妻の実家に1カ月ほど身を寄せてから、都内に部屋を借りたという。 避難2年目からは妻子を東京に残し、福島市でアパート暮らしを始め、別の仕事をしながら事業再開を目指す。立ち入り制限がある中、防護服姿で事業所の整理に明け暮れ、2014年からほそぼそと営業を再開した。 放射能に関する風評被害もあり、仕事は以前のようにはいかなかった。除染されていない浪江町の森林は伐採できないため、町外の木材を仕入れても市場では買い手がつかない。「浪江の業者の商品を扱うと、周りにある他の地域の木材まで売れなくなるよ」と言われたこともある。風評被害がだいぶ収まった現在でも、一般向けは産地を気にする人が多いため、朝田木材産業では土木資材用を中心に扱っているそうだ。 ウッドコアでは製材前の丸太の状態と製品の仕上げ段階の2回、セシウムカウンターで放射能量を測定する。「海外よりも数倍厳しい基準で、1本1本全量検査している。それでも、引っ掛かるのは年に数本程度」(朝田さん)だという。