「市長には人事権はありません」「えっ、どういうこと?」副市長が市長の〈最大の抵抗勢力〉になる理由
● 人事権を行使している 市長はほとんどいない 私が「明石の市長になって冷たい社会をやさしくするんだ」と思ったのは10歳のときでした。その後、より具体的に市長を目指すようになったのは20代になってからです。 権限のない国会議員になっても大きな仕事はできない。それよりも、市長になって世の中が思い込んでいる「できない」を「できる」に置き換えていく。 それが自分の使命であり、私がこの世に生きる意味だと確信していました。一時期、私は国会議員をしていたこともあり、その経験はもちろん今に役立っていますが、市長を目指す気持ちは一貫して持ち続けていました。 市長は人事権と予算編成権という2つの権利を持っています。ところが、全国を見回してみてもその権利を行使している市長はほとんどいません。もしかしたら、この私が全国で唯一の存在だったかもしれません。 私が市長になるまでの明石市の人事権のほとんどは、人事当局(総務局職員室)が握っていました。人事当局が人事をして、最後に判だけ市長に押させる。場合によって市長の要望が受け入れられることもあったようですが、それでも数名が受け入れられれば上出来という状況だったようです。これは明石市だけの話ではなく、他の市町村も似たり寄ったりの状況といえます。 2011年、市長に就任したばかりの私が人事権を行使しようとしたところ、「市長には、人事権は実質的にはありません」と人事当局から激しい抵抗を受けました。
各部署の部長人事ですら「市長に部長人事権は数名分しかありません」と言われる始末。「えっ、どういうこと?」と聞くと、多くの部署は年功序列ですでに次期部長は決まっているから私の指名する余地はないというのです。 ● 本来の権限を行使したがる 首長は組織内で大反発を食らう 流れ作業で人事が決められるような状況の中、59歳にしてやっと部長になった人が本当に優秀な人材なら私も文句は言いません。しかし、単なる順番待ちで部長になった人に何を期待したらよいのか。 役職にふさわしい志も長期展望もない、退職まであと1年の部長に、10年後の活気あふれる明石市を考える能力、さらにそれを成し遂げる実行力があるとはとても思えません。 予算案にしても各課、各部で若干抑えながら調整されたものが市長のところに上がってきて、市長である私のすることといえば人事と同じく、判を押すだけの状況でした。 要するに人事にしろ、予算にしろ、市長が目にする段階ではすでにすべてが決まっている。市長に口を挟む余地を与えないこういった役所のやり方は、明石市に限らず全国どこでも似たり寄ったりの状況です。