ひろゆきのマネをして「それってあなたの感想ですよね」と口にする子どもはどういう目に遭うのか
敵味方を明瞭に分ける
しかしながら、その弊害は如実にあります。強烈に相手を論破するというスタイルをとるため、味方/敵が明瞭に分けられてしまうのです。結果、熱狂的な一部の石丸氏の支持者たちが、敵と見なされた側に執拗な誹謗中傷を投げてしまうのは問題でしょう。そして、敵と見なされた側もまた石丸氏に大量の誹謗中傷を投げかけることで、さらに状況が混沌としてしまうわけですが、こうしたネット言論の世界に呆れ果て、多くの良識ある人々が撤退するのは目に見えています。 論理やデータは大切です。議論をすれば論破をすることもあるでしょう。ただ、これらに至上の価値を認めてしまう現代の風潮は、どうにも腑に落ちません。本当に、そんなに論理は大切なのでしょうか。 *** 物江氏は決して論理の軽視や無視を推奨しているわけではない。一方で論理に重きを置きすぎる姿勢は、当人やあるいは社会に幸福をもたらさないのではないか、と指摘する。リクツが先走り、口が達者な子どもは往々にして「論破」的なものを好む。社会に出ると、「論破」したはずの相手が、面従腹背となることは珍しくない。人は決してリクツだけでは動かないものなのだが、そういう世間知を得る機会がないまま成長すると痛い目に遭うかもしれない。
デイリー新潮編集部
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