ひろゆきのマネをして「それってあなたの感想ですよね」と口にする子どもはどういう目に遭うのか
見逃されているひろゆき氏のメッセージ
ひろゆき氏の言葉には「論理やデータが非常に大事だ」という含意(がんい)もあります。が、そもそも学習が十分ではないこの生徒は、論理やデータを使いこなすことができるとは思えません。むしろ、それらを滅茶苦茶に使ってしまい、あらぬ方向に突き進んでしまうような気がします。規範や権威には従わないが、そうかといって論理やデータに基づいた適切な判断もできないとなれば、いったいこの生徒は、これから何に基づいて生きていくのでしょうか。
石丸候補の論破術
こうした論破の弊害は、今夏の東京都知事選で注目を集めた石丸伸二氏をめぐる騒動からも見て取れます。とりわけ、テレビ番組でキャスターや論客たちと議論をするものの上手く話がかみ合わず、石丸氏が再質問を繰り返したり言葉の定義について何度も確認をしたりしたシーンは、この問題を考えるうえで示唆的です。 幾度となく定義や話の前提を確認する石丸氏の話法は、ある種の論理学を想起させるものです。 たしかにそうした定義を求める厳密さにも意味はあるけれども、日常生活で活用するのには難しすぎます。実際、日常生活においては論理学ではなく、それぞれの社会や業界内で通用する論理・暗黙の了解・習慣などを踏まえたラフ(≒いい加減)な議論が展開され、たびたび業界内の人間にしか理解できない代物になりがちなことはご承知のとおりです。 そんな業界のお約束を無視し、万人に開かれた緻密な話をしようとする姿勢そのものは、議論において非常に大切なことだと思います。 しかし、石丸氏が意識しているかどうかは分かりませんが、この両者の溝を悪用し過剰な厳密さを相手に要求すれば、あらゆる質問を撃退できる禁じ手になることもまた事実。 やり方は簡単です。相手の主張や質問を、論理学と同じようなレベルでチェックするだけです。そうすれば確実に粗(あら)が出てくるので、より厳密に話すよう再質問をすればよい。仮に相手がいかに厳密な返答を試みても、それを口頭で論理学と同じ水準にまで上げるのは不可能なので、延々とより緻密な主張を要求し続けることができます。相手が返答に窮したその刹那、強い口調で批判をすればなお効果的でしょう。なんなら、幾度となく再質問をすることで時間切れを狙うことも可能です。 荒っぽく言えば「その言葉の意味するところが不明瞭なので、もっと厳密に定義してください」といった類のセリフを繰り返せばよいわけです。 この場合、議論を全体的に見れば無理難題を吹っ掛ける側(石丸氏)に問題があるのですが、同時により厳密なレベルを要求している側でもあるため、非があるように思われにくい。切り抜き動画であれば全体像を確認できないので、そもそも問題になりえません。厳しい質問や主張により相手を攻めるシーンが切り抜かれた動画は痛快であり、この時代に適合した新しい手法だとは思います。 「新しい」という言葉が象徴するように、この手法は新しい世代に深く刺さったようです。彼らから多くの票を集め、選挙前の予想を大きく上回る2位に躍進した一因に切り抜き動画があったことは想像に難くありません。日常的に切り抜き動画に触れている世代とそうではない世代とでは、見えている世界が相当違っていることを示唆する出来事でもありました。