若者好みのカスタムパーツを装備し、ビッグスクーターブームを牽引したフュージョンType X
元祖おしゃれビッグスクーターと言えるフュージョンは、スクーターの既成概念を壊したエポックメイキングなモデルだ。その個性的なデザインは若者からベテランまで幅広いライダーに愛され、一旦生産が中止されたもののその後再生産されている。 【画像】フュージョン Type-Xのディテールをギャラリーで見る(22枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
おじさんの乗り物から若者の乗り物へ
その昔バイクの免許は車の免許のおまけてついてきた。その免許は排気量のリミットもなく、逆輸入のリッターバイクにも乗ることができた。1970~1980年代にかけて巻き起こったミニバイクブームは、お年寄りから女子高生まで幅広い層にスクーターを浸透させた。そんな中、1984年に高速道路にも乗れる250ccクラスのスクーターとして「スペイシー250フリーウェイ」が誕生したが、それは原付以上の免許を持つ「おじさん」が乗るか、バイク便用のバイクという枠から出ることは無かった。そんな冴えないイメージでスタートした250ccクラスのスクーターだったが、そこに革命を起こしたとも言えるのがホンダが1986年に発売したフュージョンだった。 1986年といえばまだレーサーレプリカブームの真っ只中であり、10代、20代の若者はフルカウルのレーサーレプリカに乗るのが基本ではあった。そんな中、1988年に大友克洋氏によるアニメ映画「AKIRA」が公開される。この映画は世界中で評価されることになるのだが、映画の内容と同じくらい主人公の金田が乗る「金田のバイク」が注目を集めた。設定状このバイクはモーターで走るEVなのだが、大友氏による優れたデザインはバイク業界やサブカル業界を賑わせた。そして、その乗車姿勢やデザインに近いバイクを当時のラインナップから探すと、フュージョンが最も近いイメージを持っていた。 「AKIRA」の影響があったかどうかは定かではないが、それ以降原宿あたりでは少しヤレた感じのフュージョンにカラフルなステッカーを貼り、半キャップに革ジャンというスタイルのライダーを見かけるようになったのを覚えている。もしかしたらハーレーユーザーのセカンドバイクだったのかもしれないし、都心の一部でのブームでしか無かったのだろうが、プチ・フュージョンブームとも言える現象が確実に起こっていた。しかし、これらのライダーが買うのは大抵中古であり、ホンダとしての売り上げが大幅に向上したということは無かったのだろう。フュージョンは1997年に生産中止となった。