野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
1995年、メジャー1年目からオールスターに出場するなど実力を発揮した野茂英雄。野茂不在の近鉄を支えた先輩投手・山崎慎太郎と野茂を慕っていた後輩投手・赤堀元之はその活躍をどう見ていたのか。(第7回/初回から読む) 【貴重写真】「カッコいいスーツ姿…」野茂英雄22歳の婚約会見、レアな入浴シーン、時代を感じる空港ショットまで近鉄時代の秘蔵カットを見る
野茂さんにはメジャーでやって欲しかった
近鉄にとって野茂がいなくなれば、チームのエースが抜けることになる。その穴は、簡単には埋まらない。実際、野茂がいなくなった1995年の近鉄はシーズン序盤から低空飛行を続け、夏場には最下位に転落。監督3年目の鈴木啓示は成績不振から8月9日に途中休養に追い込まれている。 しかし、赤堀はチームへの影響と野茂の意志を分けて考えていた。 「弱くなる怖さとか、そんなのは全くなかった。もちろん球団にはあったかもしれないですけど、一個人としては行ってほしい、やって欲しいと思っていました。こっちに縛られることもないな、と思っていたんです。野茂さんがいなくなったらいなくなったで、また誰かが入ってくるものなんです。だから、野茂さんにはメジャーでやって欲しかった。『行きたい』という、昔からの思いですからね」
近鉄の“エース“はどう見た?
ここでひとつの疑問が浮かぶ。山崎も赤堀も、近鉄の看板を背負う一線級の投手だ。メジャーで活躍する元同僚の姿に触発されて、自分もアメリカの地を目指そうという気持ちにはならなかったのだろうか。 野茂が長期離脱した1994年に続き1995年シーズンも2年連続2ケタ勝利を挙げた山崎は、プロ2年目の1986年に、米ルーキーリーグに短期留学している。そのアメリカでの経験があったゆえに、むしろ野茂のメジャー挑戦に触発されることはなかったという。 「俺は全然、その気はなかった。間違いなく、自分は絶対通用せえへんと思っていた。そこはさすがに、自分の力量は分かるからね。ホント、メジャーなんてイメージが湧かないから、行きたいということもなかった。でも結局、吉井(理人・現千葉ロッテ監督)さんとかは『行きたい』という思いが、やっぱり出て来たんだろうね。メジャーに行って通用するのかどうか、自分も試してみたいと思いながら行った人、多いんじゃない?」 山崎が例に挙げた吉井は、1995年の開幕直前に近鉄からヤクルトへ移籍すると、1997年オフにFA権を行使。メジャー1年目の1998年はメッツで野茂とともにプレーするなど、メジャー5年間で通算32勝。それこそ3歳年下の野茂に“感化された”一人だろう。
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