野茂英雄のドジャース「トルネード旋風」を近鉄の同僚投手はどう見た?「自分は絶対通用せえへん」野茂に次ぐ“エース”がメジャーを目指さなかったワケ
赤堀が語る野茂の本当の凄さ
1992年の赤堀は1試合・2回を投げただけ。1996年、野茂が全米オールスターズの一員として凱旋した際、赤堀は再び全日本メンバーに入っているが、4試合計5イニングを投げ被安打7の2失点、防御率3・60と、平凡な数字が並んでいるのは、どうもメジャー球の影響だったようだ。 その“ボールの違い”は、WBCをはじめとした国際大会が開催されるたびに問題になる“不変のギャップ”でもある。また、英語力や生活面の問題も絡んでくると、いざメジャー挑戦と考えたところで、何かと躊躇してしまいがちだ。 ましてや野茂の時には繰り返しになるが、全く前例がない。だから、先輩たちがどうやって、そうした諸問題をクリアしたかといったコツや情報も、世間に広まっていない。 「何も分からない状態の、何もないところでいきなり『僕はメジャーに行くから、任意引退にしてくれ』って言ったわけじゃないですか。自分の気持ち、精神というのが強い人だと思うんです。行くことも凄いけど、みんな『やっぱりどうかな? 』って悩むじゃないですか。だけど信念を持って『俺は絶対に行くんだ』ってなっている。強い人だなと思う。だから僕が憧れる人なんです」
野茂さんは自分の力で切り拓いた
そう語る赤堀は、2024年から日本の二軍、ウエスタン・リーグにファーム単独チームとして初参戦している「くふうハヤテベンチャーズ静岡」の初代監督を務めている。 プロ野球界として、育成のすそ野を拡大するという大きな意義を持ち、地域振興の起爆剤としての期待も高い新球団の誕生だった。静岡出身の赤堀にとって「静岡に関われる、それも最初に関われるというのは、すごく光栄なこと」。ミッションは当然違うが、野茂が“何もないところ”から新たな挑戦に踏み出したときの思いと、どこか重なるところがある。 「一からやる、ってことは、凄いなって思いますよ。この監督の仕事は、自分の力だけではできません。だけど、野茂さんは自分の力で切り拓いたじゃないですか。だから、僕とは全く別の次元の問題だと思っています」
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