「めぐみが北朝鮮にいる」疑惑が“確信”に変わるまで…メディアへの“実名”掲載を決めた父・滋さんの覚悟
現代コリア研究所「これは横田めぐみさんである」判断
石高健次さんの文章を掲載した『現代コリア』誌を出している現代コリア研究所所長の佐藤勝巳さんは、新潟のご出身でした。10月号の石高さんの原稿を読まれた佐藤さんは、おぼろげながら、めぐみの事件を記憶されていたそうです。 『現代コリア』10月号が出てから2カ月後の平成8年12月14日、佐藤さんは新潟市でおこなった講演のあとの懇親会で、「確か新潟海岸で行方不明になった少女がいましたよね」と話されました。すると、そこに居合わせた新潟県警の幹部の方が、「ああ、めぐみちゃんです」と答えました。佐藤さんが「彼女、北朝鮮にいるようですよ」と言ったら、近くにいた人たちが一斉に「エッ」と声をあげたそうです。 佐藤さんは早速『新潟日報』を取り寄せ、さらに現代コリア研究所は、韓国の当局に問い合わせて、石高さんが書かれたような証言を国家安全企画部の幹部の方がしたのは間違いないという答えを貰ったそうです。 現代コリア研究所では、「これは横田めぐみさんである」と判断されました。そして、平成9年1・2月号の『現代コリア』に「身元の確認された拉致少女」という記事を載せ、インターネットのホームページを通じてマスコミの方たちに、この情報を流される一方で、衆議院議員の西村真悟議員(新進党・当時)と相談して、国会の場でめぐみの事件を追及してくださることになったのでした。 私たちの知らないところで、いろいろな方が動いていてくださっていたのです。
国会でも「質問主意書」が出され…
1月23日には、西村代議士が、めぐみの事件について政府に「質問主意書」(「北朝鮮工作組織による日本人誘拐拉致に関する質問主意書」)というものを出されました。そのことを私たちは5日後の1月28日に知りました。 同じく23日と、2日後の25日に、石高さんが私たちを訪ねてこられ、詳しい説明をしてくださいました。25日には、週刊誌の『アエラ』(朝日新聞社)の長谷川熙記者が、私たちを取材されました。28日は、『ニューズウィーク』誌の高山秀子記者の取材を受け、昭和55年にアベックの謎の蒸発事件をいち早く報じられた産経新聞社の阿部雅美さんも、わが家にやって来られました。 28日、西村代議士が「質問主意書」を23日に出されたとの知らせを受けた主人は、翌29日、西村代議士にお電話しました。「主意書」に対する政府の答弁が遅れているというお話でした。実際に主意書の答弁があったのは2月7日のことで、「横田めぐみさんの事件は『捜査中』」という回答でした。 1月30日、主人と私は新潟に行き、新潟中央署に、それまでの経緯を説明しました。その後私たちは、かつて住んでいた家の跡を訪ね、私は隣のおばあちゃまの家の庭で、大きく成長した山茶花を見たのです。めぐみと共に、一家5人が賑やかに暮らしていたあの家は取り壊され、空き地となって雑草が生えていました。残っていたのは格子戸の門と、玄関の脇に植わっていた梅の木だけでした。 私は、めぐみが姿を消した曲がり角のほうを見ることも、ましてやその場所に行くことも嫌でした。あの角で、めぐみがいなくなったのだと考えることすら、私には耐え難いことでした。 あの日、何事も起こらなければ、その曲がり角から、ほんのわずかの距離を歩いて、めぐみは家に帰ってきたはずです。そして、バドミントンの強化選手に選ばれて大変なんだよと言い、私は私で「こんなときに親が出て行って、いいのだろうか。子どものために、どうしてあげるのが一番いいのだろうか」と、心配していたのかもしれません。