広告・お笑い・プロレスに共通する「穏やかで洗練された洗脳」
今年の自民党総裁選、そして衆院選で自民党から電通にどんな仕事が委託されたかはまだ報道されていないが、自民党総裁選に見る、素人離れした手際よくきれいにまとまったポスターのデザインを見る限り、かなり大量の仕事が自民党から電通に回った、と見てもおかしくないだろう。 電通と政治の関係は、かなり昔から続いており、古くは吉田茂内閣まで遡るという話も出てくる。 ところで、電通は、もうひとつの大手広告会社である博報堂と共に、国の政府広報事業の大きな割合を仕事として受注している。にも関わらず自民党からも選挙関連の仕事を請け負ってきたということは、あれ、これは公職選挙法221条に反するのではなかろうか。 おそらく、ここまで長く自民党と電通の関係が続くにあたっては、「政府と自民党は異なる組織だ」というような(これは私の想像である。念のため)、「これは公職選挙法違反ではない」という説明が、それなりの説得力を持って成立していたのだろう。 しかし、その説明は果たしてこのネットとSNSの時代にあっても、公正な選挙を保証するにあたって、やはり成立するのだろうか。 つまり、ことは単に兵庫県知事選において、地方の一広告会社であるmerchuが、“やり過ぎた”というような簡単なものではない。 「ネットとSNSを使って、有権者にウソの飽和攻撃をかけて投票行動を左右できるようになった時代においても、広告会社という“洗練された穏やかな洗脳技術”を持つ会社組織を選挙に関わらせてよいのか」という、かなり重大な問題なのである。 ●お笑いと政治の接近 ところで、“洗練された穏やかな洗脳技術”を持つ会社組織は、広告会社に限ったことではない。例えば吉本興業。 漫才は、基本的に2人1組で行う話芸だ。2人は「ボケ」と「ツッコミ」という役割を分担する。ボケは常識から外れたことを話して笑いを誘う。ツッコミはボケの言動が、いかに常識から外れたことであるかを指摘し、基本的に常識の世界に生きている観客の共感を引き出す。観客から笑いを引き出すということは、観客を「笑い」という一様な感情の動きの中に絡め取るということだ。これも“洗練された穏やかな洗脳技術”であろう。お笑いをおとしめたいわけではなく、「洗脳」は様々な分野に存在する我々にとって身近なものであり、中でもお笑いはその洗練度が高い、ということを言いたいので念のため。 その吉本興業は、大阪において日本維新の会とWin-Winの関係を作り上げている。今回の衆議院議員選挙で、日本維新の会は43議席から38議席に議席を減らした。その一方で、大阪府の19ある小選挙区は、すべて維新の候補が当選した。 これは在阪メディア、特に民放テレビ局が日本維新の会を支援し、積極的に関係者を出演させたから、という見方が一般的である。この時、同時に出演して、持ち前の話芸で維新関係者を持ち上げるのが、吉本興業所属の芸人というわけだ。 他方で吉本興業は、大阪・関西万博など大阪を中心とした公共事業に食い込み、収益を上げている。公職選挙法違反が指摘されるような直接の選挙支援ではないにしても、これはかなり民主主義を危うくする「政治と“洗練された穏やかな洗脳技術”の結合」ではなかろうか。 おそらく、アメリカで吉本興業と同じようなポジションにあるのは、プロレスだ。プロレスは徹底的に鍛え上げた肉体で、普通なら大けがしたり死んだりしてしまうような派手で過激な技の応酬を、安全な形で観客に披露するという興行だ。その意味では体を張った演劇というべきものである。 プロレスの基本となったレスリングは本来は相手を倒して勝敗をつける格闘技なので、興行は試合という形式をとる。が、実際は事前の打ち合わせとシナリオ、そしてレスラーたちの技を掛け合う際のあうんの呼吸で安全を確保している。時にエキサイトしたレスラーたちが本気で相手を倒す試合を行うことがあり、セメントマッチと呼ばれる。ただし、セメントマッチはプロレスにおいて、必ずしも正しいこととはされていない。なにより危険だからだ。