広告・お笑い・プロレスに共通する「穏やかで洗練された洗脳」
10年後、1999年に当時日本マイクロソフトの会長だった古川亨さんに会ったら「君、これからはストリーミングだ。映画なんて自分の家で見るものになる!」と言われた。「はあっ?」と何を言っているのか理解できなかった。なにしろ当時の56kモデム経由で見るストリーミング実験は160×120ドットの小さな動画像が秒数コマでカクカクと動く程度だったのだから。 が、四半世紀を経て確かにそうなった。今や、電波を通じたテレビ放送は時代遅れであり、多くの人々がストリーミング――といっても今ではそもそも「ストリーミング」がなにかが分からない人もいるかもしれない。要するにNetflixであり、ディズニーチャンネルであり、Apple TV+であり、AmazonのPrime Videoであり、dアニメストアであり、ビデオマーケットであり、NHKオンデマンドであり、TVerである――の映像を楽しんでいる。 おお素晴らしき未来、と言いたいが、ストリーミングを可能にした技術の進歩が同時に一般大衆に対する「ウソの飽和攻撃」を可能にしてしまった。というわけで、ここ2週ばかり書いている話の続きだ。 ●飽和攻撃の参謀役 ネットで横行する「ウソの飽和攻撃」で現実の選挙結果が変化してしまう現象に、一体どうしたものかと頭を痛めていたら、兵庫県の知事選はなにやら妙なことになりつつある。 兵庫県西宮市の広告会社で兵庫県とも取引があるmerchu(メルチュ)の折田楓社長が、自分のブログで、具体的にどのようにしてネットで兵庫県知事選で斎藤元彦候補の印象を「県議会から不信任を突きつけられて失職した元知事」から、「既得権益に挑む知事候補」へとひっくり返していったかを公開してしまったのだ。 今、「してしまった」と書いた。そう、「してしまった」のだ。 公職選挙法という法律は、選挙にまつわる様々な事項を禁止している。同法221条は買収を禁止しているが、買収と認定されるの条件の中に「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。」(同条1)とあるのだ。つまり広告会社が、ネットの選挙運動で対価を受け取っていたなら、それは当選した斎藤元知事が広告会社を買収したという認定になる可能性がある。 総務省は選挙にあたってなにが買収に相当するかというガイドラインを公表している。それによると、業者が主体的・裁量的に選挙運動の企画立案を行う場合、その業者への報酬は買収と見なされる可能性が高い。つまりmerchuがネットやSNSでの選挙戦略を主体的に斎藤元知事側に提案し、その対価として報酬を受け取っていた場合、買収と認定されるということだ。 そして、折田社長のブログに掲載された、merchuから斎藤陣営に向けたプレゼン資料は、堂々「兵庫県知事選挙に向けた広報戦略のご提案 #さいとう元知事がんばれ」というタイトルだったのである。 斎藤元知事側は、ポスターの制作などは有償だったが応援活動はボランティアで行われた、と主張している。報酬を受け取らず、純粋に斎藤元知事を支持しての選挙運動ならばOKかといえば、そうでもない。公職選挙法199条に「衆議院議員及び参議院議員の選挙に関しては国と、地方公共団体の議会の議員及び長の選挙に関しては当該地方公共団体と、請負その他特別の利益を伴う契約の当事者である者は、当該選挙に関し、寄附をしてはならない。」とあるからだ。つまり、兵庫県知事選挙なら、兵庫県と「請負その他特別の利益を伴う契約の当事者」は寄付をしてはならない。merchuは兵庫県の仕事を受注している。つまり、merchuが報酬を受け取っていなくても、公職選挙法違反となる可能性がある(可能性、としたのは、「特別の利益」についての捉え方に明確な基準がないため)。 すでに「これぐらいのことは過去にもあった。ただ、広告会社が調子に乗って職業倫理として表に出すべきではない話を表に出しすぎた」とする意見も出てきている。正直なところ、この件が今後どう展開するかは、選挙制度の内情に不案内な私には予想できない。 ただ、思うところはある。違反行為かどうかはひとまずおいて、飽和攻撃の主体は「やはり広告会社であったのか」ということだ。 広告という仕事には本質的に、右のものを左と、下のものを上と、不要不急のものを必須と、言いくるめて人々に納得させるという側面がある。もちろんそれだけではないにせよ、広告には「洗脳」の性質が存在することは否めない。