故マルチェロ・ガンディーニとの思い出とは? 謙虚な巨匠のクルマへの考え方は意外なものだった
イタリア人のカーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏が逝去した。かつて、本人にインタビューをした経験も有する小川フミオが、巨匠との思い出などを振り返る。 【写真を見る】マルチェロ・ガンディーニが手掛けた懐かしのスーパーカーなど
デザインにおける信念
この人がいなかったら、自動車のカタチは、今と違ったものになっていたかもしれない……。ランボルギーニ「カウンタック」などを手がけたのが、イタリア人デザイナー、マルチェロ・ガンディーニ。残念なことに、2024年3月13日に訃報が伝わってきた。85歳だったという。 私がもし、もっとも好きなデザインは? と、尋ねられたら、まっさきに挙げるのが、ランチア「ストラトス」(1973年)。ガンディーニがカロッツェリア・ベルトーネのデザインチーフをやっていた時代に手がけたスポーツカーだ。 3.7mの全長に対して1.75mの全幅。短くて幅広い! 太いタイヤを収めるためにタイヤハウスがボディの外に飛び出している。ウインドウシールドはガラスの円筒から切り取ったみたいな、強烈なカーブ。リヤのセクションが一体成型で、がばっと開く(というより外れる)と、フェラーリが手がけていた2.4リッターV6エンジン! 子どものころ、東京・大田区にあった実家そばの商店街に、ストリート仕様がとまっていたのを見たことがある。石原軍団幹部の人の家が近くにあったから、そこへの訪問客? と、思ったりもしたが、あの迫力を眼にすると、そんなことどうでもよくなった。 リヤからみると、マフラーのサイレンサーが大きく見える。このとき、「なるほど。たしかに、ストラトスはスタイリッシュなスポーツカーでなく、世界ラリー選手権で勝つために作られたというのは、本当なんだなぁ」と、思った。 円筒のウインドウシールドは視界確保のため。ノーズは低くしたいので、タイヤがフォーミュラカーのように車体より高くなった。エンジンカバーがはずれるのは、容易な整備のため。ドアの内側には、ヘルメットが収納できる巨大なポケットもある。 そういえば、私がのちに、トリノ郊外の、じつに素敵なガンディーニ邸におじゃましたとき、まずこのストラトスの”自慢”を語ってもらいたかった。ところが、このデザインの巨匠は、じつに謙虚で、期待していたようなことは喋ってくれない。 ストラトスは機能をまとめるとああいうかたちになった、と、答えはシンプル。応接間のテーブルにあったのは、当時のアウディ「80アヴァント」(だったように思う)の石膏製スケールモデル(昔のカロッツェリアは、スケールモデルを石膏で作っていた)。過去より現在とその先のほうが興味ある、ということだった。 たしかに、ガンディーニの代表作なんて言われるカウンタック(「ピエモンテ地方の発音ではクンタッシュっていうんですよ」と、そのときガンディーニが教えてくれた)も、前ヒンジで後端がはねあがるシザードアは乗り降りの利便性を考えて採用したものという。 デザインの本質は、けれん味でなく、最良の機能性を求めての結果なのだ、とジェルジェット・ジュジャーロも言うし、意外にも、そこにイタリアのデザインの本質があるのだろう。かつ、それを審美的に仕上げるのが、巨匠の腕前なのだ。 ガンディーニが手がけたクルマというと、ランボルギーニ「ミウラ」(ジュジャーロ説もあり定説がない)、同「ディアブロ」、オリジナルのアルファロメオ「33ストラダーレ」、マセラティ「カムジン」、フィアット「X1/9」、BMW初代「5シリーズ」、シトロエン「BX」、ルノー「5ターボ」などがぱっと浮かぶ。 いっぽうで、さきのアウディといい、フォルクスワーゲンの初代「ポロ」(と姉妹車のアウディ50)もガンディーニ作だという。ガンディーニ氏、2024年1月にトリノ工科大学で講演を行い、自身のデザイン哲学を披露した。 「クルマはマジカルな魅力をもった物体で、一瞬で私たちが行きたいところへと連れてってくれます。同時に、乗員を守ってくれるし、空間も提供してくれます。いってみれば、クルマとは自由なのです。それこそがクルマの本質だと私は思います。あとのエモーショナルな要素はすべてつけ足しといってもいいでしょう」 まじめすぎて、大向こうウケするインタビュー記事を作るのがむずかしい人だった。それは最後まで変わらないガンディーニの、デザインにおける信念だったのだろう。 私がガンディーニ邸におじゃましたとき、最後に「もう遅いし、タクシー呼ぶのもめんどくさいだろうから」と、ガンディーニ自身がアウディ90を運転して、トリノ市内の私のホテルまで送ってくれた。これは私の自慢である(えへん)。 ご冥福をお祈りします。
文・小川フミオ 編集・稲垣邦康(GQ)