「僕はママじゃないよ。決めつけないで」大好きであるが故にやらかすファン、親、恋人のための心得【小島慶子】
どのくらい幸せかは当人にしか測れないもの
先日は羽生結弦さんが離婚を発表しました。結婚して以来、加熱するファンや報道によって通常の生活が送れなくなっていたことを明かし、大切な人を守るために離婚を決めたという主旨でした。これを聞いて「ああ、大事なゆずが離婚してくれてよかった」と思う人がいるのでしょうか。「あの結婚は間違っていたのだからこれでいいのだ」とか。もしそうなら、それは愛でも応援でもなく、人を思い通りにしたいという支配欲ですよね。 とっても間違いやすいのですが、相手を大切に思うことと、相手を思うことは違います。この「大切に」という言葉に善なるものが宿っている感じがするものだからつい尊いと思ってしまうけれど、自分にとって大切なだけで実は相手の幸福とは無関係なのです。もし街中で知らない人にいきなり「あなたが大事なのだ」と言われたら怖いでしょう。「いや関係ないし、あなた誰?」と思うよね? アイドルや著名人を大事に思う気持ちは、その人の素晴らしさを讃え、世に広めねばという使命感を伴うことがあります。熱意を仲間と共有する喜びや、伝道活動によって自身の自尊感情を救済する作用はあるものの、果たしてそれがアイドル当人の私的な幸福にどの程度寄与するのかは不明です。幸福を実測できるのは本人だけなので、どれほどメディア露出が増えようとグッズが売れようと、その人の幸せを他人が測ることはできません。
その人の全てを永遠に知っている、という大きな誤解
ファンは、自分は果たしてあの人の役に立っているのか、この想いは報われるのかと常に潜在的な不安を抱えているので、アイドルやアスリートは絶えず皆様への感謝と愛を伝え続けて、数万から多い時には数億人ものファンを安心させ、満足させる必要があります。そこには確かに、応援される人の喜びと誠実な感謝が込められているでしょう。でも、消耗します。愛されるって消耗するんです。これは、過干渉の親や束縛の強い恋人に悩まされたことのある人は多少なりとも経験したことがあるのではないかと思います。 その人を大切に思うことと、その人を思うことの違いはなんでしょう。なぜ前者の方が尊そうなのに、後者の方が望ましいと私は考えるのか。後者には評価が入っていないからです。価値判断が伴わないから。 大切に思うこととただ思うことの違いは、「あなたを知っている」と「あなたを知りたい」の違いとも言えます。執拗な追っかけ行為などは一見「あなたを知りたい」がエスカレートしたように見えるけど、「自分はあなたを知っている」という大きな誤解をしているからこそ、相手との境界線を見失うんですよね。相手を知りたいと思うことと、所有したいと思うことは違います。自分はその人の全てを永遠に知ることはできない、思い通りにはできないと心得ることが、他者を尊ぶことなのでしょうね。 そう自分に言い聞かせながら、何度言ってもいつも母親からの着信に気づかない次男からのショートメッセージの返信を、今日も辛抱強く待とうと思います。
小島 慶子