キングの逮捕劇──カルロス・ゴーンと田中角栄の文化論
田中角栄元総理の逮捕を思い起こす
今回の逮捕劇に、ある年齢以上の人が思い起こしたのは、1976年の田中角栄元総理の逮捕ではないか。 金脈問題で辞任していたとはいえ、直前の総理大臣であり、政界最大の実力者であった。今回の日産前会長=グローバル経済のカリスマ経営者も、それに負けない存在感のある権力者であった。いわばどちらも「キングの逮捕劇」なのだ。 元総理の逮捕によって検察の責任者と担当者は一種のヒーロー扱いとなったが、42年を経て、東京地検特捜部は再び大勝負に出たということか。もちろんそれなりの確信をもってのことで、不起訴ということにはならないと思うが、外国人でもあり、今後のなりゆきが注目される。 カルロス・ゴーン前会長はブラジルで生まれて幼少期を過ごした。両親はレバノン系のためベイルートで中等教育を受け、フランスで高等教育を受けた。つまり南米、中東、欧州の文化が染み込んだまさにグローバルな人間で、自ら「多様性は力である」と発言している。タイヤメーカーのミシュランに入り、手腕を買われルノーの副社長となり、経営危機に陥っていた日産の建て直しに最高執行責任者として送り込まれた。そしてルノー・日産・三菱のそれぞれの会長となった。 一方、田中角栄元総理は雪深い越後の貧しい農家の出身で、学歴もほとんどなく、建設業経営を経て政界入りすると、たちまち頭角を現し、若くして大臣となり、やがて総理総裁となった。列島改造論は、近代化に遅れた日本海側を太平洋側並みに引き上げたいという思いから出発したという。ゴーン前会長のグローバリズムとは対照的であるが、どちらもその背景にある風土と文化が強いエネルギー源となって、実力と辣腕でのし上がったという点は共通するのだ。
2人の類似点と相違点
テレビに現れるゴーン前会長の映像は、常にマイクを前に身振り手振りを加えて力強く演説する姿であったが、田中元総理も「角栄節」といわれるほど演説がうまく、マイクの前に立って滔々と語り人を惹きつける姿には似たものがある。元総理は政治家だから当然だが、ゴーン前会長は経営者というより、革命家的伝道師的なキャラクターであったのかもしれない。業績不振企業の社長となって回復に苦労していた友人は、ゴーン前会長のようにリストラと工場閉鎖を断行する手法が、本当の経営者の取るべき道だろうかと漏らしていた。 いずれにしろこの二人は、抜群の決断力と説得力と行動力があり、庶民には想像がつかないほどの大金を個人的に動かしていた。その逮捕劇には海外と司法取引が絡んでいるなど、共通する部分が多いのは確かである。 しかし人間性には大きな違いがあるように思う。 ロッキード事件は受託収賄であり、総理というきわめて公的な立場を利用して金銭を受け取ったという点で社会的な罪は重い。ゴーン前会長の逮捕容疑は、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)というもので、多額とはいえ、それほど大きな罪ではなく、今後の捜査で脱税や特別背任になるかどうかが問題というのが専門家の見方のようだ。 とはいえ、元総理の金は軍団と呼ばれる派閥の運営資金で、政策実現のために必要であったと解釈することも可能だが、前会長の金はあくまで私的なものである。 そして田中元総理は大変な人気がある。 その人気は、逮捕後も、死後も、衰えず、最近は、批判的であったはずの石原慎太郎氏からも「天才」の名を献じられている。僕も彼の政治手法には疑問を感じざるをえず、強引な開発政策は時代に合わなくなっていたとも思うが、善悪を超えた人間的魅力にはどこか惹かれるところがあった。 ゴーン前会長にそういった魅力があるかどうか。人気どころか、解雇された元日産従業員の怒りは大きいようだ。前夫人による暴露などもある。こんなところにも文化の違いが出ているのかもしれない。