「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」がバッシングされるのはなぜか 貧困は全世代層に普遍的なリスクだ
たかが「忘れっぽい」とされるような症状であっても、見聞きしたことが頭の中から次々消えてしまうその症状のせいで、文章の読解、他者の言葉の聞き取りや理解、諸条件を脳内で比較検討して次の行動を選択すること、他者との約束事を遂行することといった、実務上のあらゆるタスクに壊滅的な影響を及ぼすことを、想像すらしなかったという点だ。 作業記憶の低下は認知機能にまつわる数多の症状のひとつにすぎないが、まさかその症状がこんなにも広範囲に人の働くことを阻害してくるとは、思いもよらなかった。だが、自身がその当事者となってみれば、断言できる。
脳に不自由がある者は、就労継続が困難となり、容易に失職し、預貯金や私的公的な支援がなければ貧(ひん)に陥り、抜け出せない困(こん)に陥るのも当然なのだ。 もちろん、これまで貧困の要因については、成育環境によって教育資源を得られなかったこと、家族資源や地域資源がないことなど、複雑な要因があることが語られてきた。僕自身もかつては世代間を連鎖する貧困問題について主に書き続けてきたが、そこにばかり注視しすぎた反省もある。
自身がこの不自由な脳になって思うのは、たとえ教育資源があろうと、どれほどキャリア形成をしようと、ほんの少し脳に不自由を抱えるだけで、そこに就労継続の困難=大きな貧困のリスクが立ち上がるということだ。 ■なぜ差別的に感じられるのか? 改めて問いたい。 前述の目や足の不自由な者には差別的に感じなかった表現がなぜ「脳が不自由」の表現では差別的に感じられるのか? それは、脳に不自由があること、精神障害に分類される病や疾患をもつことに対する忌避感や差別感情だけが、他の障害よりも根深く現代に残っているからではないか?
こんな問いかけをするのは、自身がこの不自由な脳となり、働くことに困難を感じる中で、必死にあがいて働いたとしても、その「あがき」が健常者にはほとんど見えないという大問題をようやく知るに至ったからだ。 かつて僕が取材対象の「どんな仕事ができるかって……」という嘆きをスルーしてどれほどの困難を抱えているのかを掘り下げなかったように、些細に見える不自由が就労上どれほどの不自由にまで波及するかを想起するのは、実際その身になってみなければなかなか理解が及ばない。