「脳に問題がある人は働けず、貧困に陥る」がバッシングされるのはなぜか 貧困は全世代層に普遍的なリスクだ
だが、脳に何らかの不自由があることで働くのが困難であることが事実で、その結果として貧困に陥るリスクが非常に高まるのが必然ならば、足や目の例えと何が違うのだろう? ■働くうえでの大きな不自由 僕自身は10年前、脳梗塞を機に高次脳機能障害という認知機能障害の当事者となったことで、今も働くうえで大きな不自由を抱え続けている。聞きなれない障害かもしれないが、分類としては精神障害であり、「後天的に突然発症する発達障害」、「かなり進行した状態で突然発症する認知症」とでもいうべき障害でもある。
5年10年と長い時間をかけて徐々に脳の機能を再び獲得することは可能ではあるが、この障害を持つことで僕自身は、過去の取材対象者らからたびたび聞き取っていた「働くことが難しい」「当たり前の日常のタスクをこなすことにすら困難を感じている」という訴えを、わが身をもって知ることとなった。 例えば過去の著作で、DVと離婚のストレスからうつ病を発症して失職した元看護士のシングルマザーの話として、以下のようなものを紹介した。
「お金の計算も私、できない。買い物に行くとレジに表示された値段見るじゃないですか。それを見てお財布からお金を出そうとすると、いくらだったか忘れる。もう一度見ても、お財布を見ると忘れる。店員さんに、お金を数えてもらう。こんな私が、どんな仕事をできるかって……」 この話を本でそのまま紹介しながら、自分は当時、本当の意味ではその実態がどれほど過酷かまでは理解できていなかったと、僕自身がまったく同じ「レジ会計でお金を数えられない」という体験をすることで、痛感した。
レジスターに表示された、たった3桁や4桁の会計額を目を離した瞬間に忘れてしまう。多くの人には信じられないことかもしれないが、これは「作業記憶」と呼ばれる、ごく短期の記憶の機能が失われた結果だ。この症状は発達障害でも認知症でも僕のもつ高次脳機能障害でも、この取材対象者のようなうつ病診断者でも、精神障害に分類される疾患や障害を持つ者には比較的普遍的な症状として知られている。 ■貧困に陥るのも当然 後悔したというのは、当時の取材で「こんな私が、どんな仕事をできるかって……」という絶望の声を聞き取りながら、この「数桁の数字すら忘れてしまうこと」が、就労を継続するうえでどれほど致命的に波及するのかまで考えなかったこと。