商工会議所の職員が切り開く新たな道。勇気を振り絞った可能性への挑戦の記録【日本サッカー・マイノリティリポート】
二足の草鞋をそれぞれ履いた。同窓で助け合う義理はない?
松尾は人知れず、別の苦悩も抱えていた。大学院のゼミの同期は松尾を含めて12名。職業も経歴もバラバラで年齢層も幅広い。 「世界的なプロゴルファーのトレーナーさん、コーチとしてオリンピックを目指されている方、有力大学の駅伝の監督さん、甲子園出場経験者...」 松尾自身は小学3年生でサッカーを始め、6年生になると県代表に選ばれた。中高の最終学年にはサッカー部のキャプテンも務めているが、それ以上のスポーツ歴はない。松尾はゼミの片隅で、同期の経歴に圧倒されていた。 社会に出てからも、スポーツとの接点がふんだんにあったわけではない自分が、それぞれスポーツの世界で道を切り開いてきた同期の輪に加わっていけるのか、入学からしばらくは不安を拭えず、快活で社交的な松尾も内心では押しつぶされそうになっていた。 やがて同期と打ち解けだすと、次は葛藤が押し寄せてくる。この12人はそれぞれ自分に磨きをかけるために、わざわざ仕事と学問の二足の草鞋を履いている。たとえ同窓のゼミ生だろうと、助け合う義理はないのかもしれない。 しかしだからといって、自分さえ修了できれば、脱落者が出ても手放しで喜べるのだろうか――。濃淡の差こそあれ、これは同期の12人全員で分かち合っているはずの葛藤だ。松尾は自分自身が不安を抱えながら大学院生活をスタートさせていたので、全員一緒に修了したいという思いを余計に募らせていく。情報を共有し、励まし合いながら7月までの春学期の過密日程を乗り切った同期が、掛け替えのない仲間になっていくからだ。 事件が起きたのは、秋を迎えようとしている頃だ。同期のひとりが突如、12人のチャットグループから退会する。ここではWさんとしておこう。Wさんはその少し前、指導教員から、この進捗状況では期限までに修士論文を提出できないのではないかと、留年を勧められていた。Wさんが大きなショックを受け、放心状態に陥っているのを、その酒席にたまたま居合わせた松尾は知っていた。 Wさんがチャットグループを退会してからの、同期の動きは速かった。仕事の合間に連絡を取り合い、実はスマホの機種変更に伴う退会だったと判明してからも、それまでの振る舞いがいくらかクールに映っていた同期も腕まくりをするなど、Wさんを支えるチームワークは加速する。 やがて消えかかっていた炎がWさんの瞳に再び宿り、留年勧告は取り消される。同期が結束した一連の出来事に、そのひとりとして、松尾は心を大きく震わせていた。 少年時代の松尾には、お山の大将だった時期がある。やがて井の中から大海に飛び出し、今では人の気持ちを汲(く)み取り、人のために行動できるようになっているのだとすれば、それは少年団や部活動で自分を正してくれた指導者やチームメイトのおかげでもあると松尾は断言できる。 「ゼミのチームワークを通して、かつてのサッカー部での出来事を思い出し、懐かしくもありましたし、仕事以外のところで人のことをあれだけ心配できるのは、同期の間に素晴らしい関係が築けているからではないかと感じました」 日本のスポーツ環境を、どうすれば改善していけるのか。どうすれば業界の給与水準を引き上げて、優秀な人材を惹(ひ)きつけられるのか。それこそ同期と飲みにいくたびに熱心な議論となった。 松尾が東京商工会議所の仕事と大学院の二足の草鞋を履こうと決めたのも、スポーツを切り口として地域や社会を良くしていけると信じているからだ。たとえば優れたシニア人材が、スポーツ業界に流入しやすい仕組みや流れを作れたら...などと、思いにふける場面は大学院に入学する前から何度もあった。そのたびに、自分ひとりの力では何も変わらないと無力感を募らせてきた。 大学院に入学してからは教室でも、酒席でも、建設的で前向きな未来の話ばかりをしていた記憶が強く残っている。だからというわけではないが、松尾は飲み会のセッティングをはじめ、同期の間の調整役を率先して買って出た。 「人と人とを繋(つな)ぐことが好きですし、もしかするとそれが自分の取柄なのかもしれないと、同期と交流を深めていきながら悟ったような気もしています」 勇気を振り絞って、本当に良かったと、松尾は思う。書類選考用の自分の履歴書を自分で過小評価して、怖気づいていたならば、同期との繋がりという貴重な財産は得られず、自分自身の強みや持ち味も自覚できずにいたかもしれない。 経歴も年齢もバラバラな集まりだからこそ、松尾は多方面から刺激を受け、さまざまなバックボーンを持つ同期が忌憚のない意見をぶつけ合う中で、負けてはいられないと奮い立ちもした。日本のスポーツ環境は、業界の給与水準は、優れた人材を吸引する力は、誰かが変えてくれるのを指をくわえて待つしかないのか――。 「たとえ少しずつだろうと、自分たちにも変えていけるところがあるのではないか。そう思うようになりました。同期のみんなと語り合っているうちにです」