「これは革命ではない」…明治政府が「神武天皇」を利用した「驚きの真実」
「神武創業」という巧妙なロジック
新政府の発足宣言でも、さっそく「神武創業」の文字が使われた。1867(慶応3)年12月、最後の将軍・徳川慶喜による大政奉還ののちに出された、「王政復古の大号令」である。 つぎにその一部を引用する。原文はむずかしいので、「神武創業」の文字を確認するだけでもかまわない。 諸事、神武創業の始にもとづき、搢紳(しんしん)・武弁・堂上・地下(じげ)の別なく、至当の公議を竭つくし、天下と休戚(きゅうせき)を同じく遊さるべき叡念につき、おのおの勉励、旧来驕惰(きょうだ)の汚習を洗ひ、尽忠報国の誠をもつて奉公いたすべく候事。 明治天皇は、神武天皇の時代にもとづいて、出自や階級に関係なく、適切な議論を尽くして国民と苦楽をともにするお覚悟なので、みなもこれまでの悪習と決別して、天皇と国家のため努めなさい──。大略そう述べられている。 神武創業の文字は、国学者・玉松操の意見で入れられた。かれは、公家から新政府の最高指導者のひとりとなった、岩倉具視の知恵袋だった。原案では「総ての事中古以前に遡回し」だったから、これでグッと印象が変わってくる。たかがスローガン、されどスローガンだ。 とはいえ、武家政権の中世をキャンセルして、天皇中心の古代に戻るというだけならば、べつに天智天皇や桓武天皇をモデルとしてもよかったのではないか。そう思った読者はとても鋭い。まったくそのとおりで、ここにトリックが隠されている。 神武天皇の時代はあまりに古く、政治体制についての記録がほとんど残っていない。本当に出自や階級に関係なく議論していたかといえば、はなはだ疑わしい。 しかしだからこそ、都合がよかった。ほとんど白紙状態ゆえに、新政府は「これが神武創業だ!」と言いながら、事実上、好き勝手に政治を行えるからだ。つまり「神武創業」は、「西洋化」でも「藩閥政治」でもなんでも代入できる魔法のことばだったのである。 現在でも、「これが本来の日本の姿だ!」と言いながら、たんに自分の思い描いた勝手な国家像を押し付けてくるものがいる。たとえば、夫婦同姓。日本の伝統などと言われるが、じっさいは明治以降に一般化したものにすぎない。 われわれは右派・左派問わず、このような原点回帰というロジックにとても弱い。「神社の参道真ん中を歩くのは伝統に反する!」と言われるとハッとしてしまうし、「これがマルクスが言いたかったほんとうの共産主義だ!」と喧伝されるとかんたんに転んでしまう。 「本来の姿に帰れ」という掛け声には、なにかやましいものが紛れ込んでいないか、つねに警戒心をもたなければいけない。 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)