<リオ五輪>20歳樋口の金を阻んだ“審判の笛の壁”
世界デビュー戦がリオ五輪となったフリースタイル57kg級の樋口黎(20、日体大)は、得意技と公言する左側へ入る片足タックルで、元世界王者たちを次々と破って決勝に進んだ。 決勝の相手は、五輪初出場ながら昨年の世界王者、ウラジーミル・ヒンチャガシビリ(25、ジョージア)。その片足タックルから得点して、中盤までは3-0とリードしていたが、終盤に返し技から2失点。寝技に強い樋口は、連続得点こそ許さなかったものの、パッシブ(注意)から課せられたアクティビティタイムの30秒間に得点できず、3点目を奪われ3-3の同点とされた。このとき5分18秒。残り時間は、激しいもみ合いが続いたものの得点は動かず、規定によりラストポイントを取った方が優勢とされ惜しくも銀メダルになった。 「1番でなければ意味がない。2番で悔しいです」 表彰式後、多くの銀メダリストがすぐメダルを首からはずす一方、外さないまま歩いて行った樋口は、悔しさをかみしめていたのだろうか。 決勝戦終了直後、日本側のセコンドは、ビデオを見直してもう一度、判定を検討するように求める「チャレンジ」を行った。ヒンチャガシビリが、執拗に手首をつかんでいたが、それは指ではないかと訴えたのだ。もし指なら反則である。しかし判定は覆らなかった。 指をつかんでいたかどうかが、ビデオにはっきり写っていることはまれだ。どうとでも解釈できる写り方をしていることのほうが多い。そんなとき、日本に有利になることはレスリングでは少ない。それというのも、多くのレフェリーにとって日本という国は、馴染みが薄い親近感がわかない存在の一方、欧州はよく顔を合わせる仲間だからだ。 欧州各地では、さまざまなレスリングの大会が毎週のようにどこかで行われている。まるで巡業ツアーのように、それらに参加する選手やレフェリーは多い。しかし、日本の選手がそこへ気軽に参戦するのは難しい。当たり前だが、遠すぎるからだ。その結果、試合でどちらともとれるあいまいな状況が発生すると、芳しくない判定が出されがちだ。だからレスリングの日本代表はいつも「はっきりテクニカルポイントを取る」ことを 心がけている。 「内容的には五分五分で、勝てる試合だった。後悔はないんですが、悔しい部分がとても多い。次の東京では、1番いい色を取れるように頑張りたい」 4歳の時、同年代の子どもたちより小柄な息子の体力作りにと、母の容子さんに地元の吹田市民教室へ連れて行かれたことがきかっけでレスリングを始めた。 「家から自転車で15分くらいのところに体育館があって、そこでやっている子ども向けのスポーツ教室がたまたま、レスリングだったんです。わざわざレスリングを探して行ったわけではありませんでした。家族は誰も、レスリングどころか、スポーツもそんなにやっていないので」 小学生が対象の全国少年少女選手権で5回の優勝、高校は大阪を離れ、茨城のレスリングの名門、霞ヶ浦高校へ進学し、2年生の夏以降、同世代には負けなしの存在となった。霞ヶ浦といえば、スパルタ指導で知られている。しゃべると、どことなくおっとりして見える樋口は、その環境についていけたのか。 「僕、怒られてもあんまり気にしないタイプです。もちろん、まったくきいていない訳ではなくて、いつまでも気にしていても仕方がないから、プラスになるように考えているだけです」