「だからスズキって好き」「ダイハツに売られた喧嘩はちゃんと買う」スズキ アルトワークス誕生物語【国産車の履歴書】
すっかり成熟したともいえる日本のクルマ業界だが、かつては黎明期や発展期がそこにあり、それらを経て現在の姿へと成長を続けてきた。後のクルマづくりにはもちろん、一般社会に対しても、今以上に大きな影響を与えていた”国産車”。ここでは毎回、1990年ごろまでの国産車を取り上げて、そのモデルが生まれた背景や商品企画、技術的な見どころ、その後のクルマに与えた影響などを考察していく。第4回は、スズキ アルトワークス。ライバル、ダイハツ・ミラと切磋琢磨しつつ、”武闘派”スズキが世に出した傑作の誕生秘話を追う。 →【画像】「だからスズキって好き」アルトワークス誕生物語
バイクの世界に見るスズキの”武闘派”ぶり
スズキといえば、軽自動車や小型車などの実用車メーカー…と思っている人が多いでしょう。かゆいところに手が届く、使い勝手のいい経済的なクルマを手ごろな価格で提供するのは、たしかに現在、同社の得意とするところです。 しかし、忘れてはいけません。同社はホンダと同様に2輪車も手がけ、何度も世界GPでチャンピオンに輝いた実績を持つ“闘う集団”でもあります。 1980年代には、ドイツ人デザイナーのハンス・ムートの手になる、革新的なデザインと高性能を誇る”GSX1100S KATANA”を発表して世界のド肝を抜き、現在でも、市販車世界最速レベルの超高性能を発揮する1300ccオーバーの“ハヤブサ”を擁するなど、その”革新的”で”武闘派”なDNAは、市販車にも脈々と息づいています。 そんなマッチョなキャラクターが4輪車でも炸裂したのが、1987年に登場した高性能軽自動車、アルトワークスです。 【スズキGSX1100S カタナ】1980年秋のドイツ・ケルンショーで発表し、「ケルンの衝撃」と絶賛された。輸出専用モデルであり、国内向けには写真奥のGSX750Sを発売。セパレートハンドルやスクリーンに認可が下りず、一部スタイルを変更。”耕運機ハンドル”などと呼ばれた。 【スズキ ハヤブサ】1998年に初代が発表され、メーカー自ら”アルティメットスポーツ”を名乗った。300km/hを初めて実測でオーバーし、”メガスポーツ”というジャンルを開拓。最速モデルながら扱いやすさもあり、大人気に。現在は写真の3代目が販売されている。