「だからスズキって好き」「ダイハツに売られた喧嘩はちゃんと買う」スズキ アルトワークス誕生物語【国産車の履歴書】
“裏技”のアルト、挑戦状を叩き付けたダイハツ
1979年に登場した初代アルトは徹底的なコストダウンに加えて、当時乗用車に課せられていた取得税がかからない商用車規格という裏技を使用。全国統一47万円という衝撃的な低価格を掲げ、セカンドカーや働く女性の足という新しい市場を開拓した軽自動車でした。 ラジオや助手席側の鍵穴までオプションとした質素な作りで、搭載されるエンジンの性能も最低限。スポーティとはまったく縁のないクルマ、と割り切った設計でした。 ところが、アルトの成功の後を追い、最初はアルトと同様に女性ユーザーを狙ったライバルのダイハツ・ミラが、1983年にターボを搭載して男性客を獲得したことで、状況が変わります。 【スズキ 初代アルト】1979年登場。当時、4ナンバーの商用バン規格は”物品税”がかからなかった。そのほか徹底したコストダウンで低価格を実現。FF方式で、ゆとりある室内も実現。 【ダイハツ 初代ミラクオーレ】1980年登場。クオーレの商用車バージョン(こちらも物品税がかからない)として、当初の名称はミラクオーレだった。 【ダイハツ 初代ミラターボ】初のターボモデルは、3年後の1983年に発表された。
たぎる”武闘派の血”、そして生まれたワークスという傑物
スズキは最初はダイハツの挑発に乗らず、パーソナルクーペのセルボをターボ化して正統派のスポーツモデルとして男性客を狙いました。しかし、残念ながらそれは思ったほど売れません。 一方、1985年のモデルチェンジでさらに高性能なインタークーラーターボを積んだ”TR-XX”という精悍なスポーツグレードを加えたミラが、若い男性客にも大人気を呼ぶに至って、スズキの闘争心に火が付いたのです。 売られた喧嘩を買ったアルトの、最初の高性能車は2代目となった1985年9月に投入したインタークーラーターボ車。しかし、それでもミラに勝てないと分かると、1986年7月に軽自動車初となる3気筒ツインカムを送り出します。しかし、まだミラの人気に追いつけません。 こうなるとスズキの武闘派の血は止められません。「これならどうだ!」とばかりに1987年2月に投入したのが、軽自動車史上初のツインカムターボ+ビスカス式フルタイム4WDというハイメカニズムを備えた”ワークス”でした。 実用車の面影を残すアルトにエアロパーツや派手なデカール、フォグランプなどを加えた武装は、今でいう“ガンダムルック”の迫力で喝采を浴び、当時の軽規格である550ccから絞りだした64psは、その後の軽自動車の自主規制値として今に至ります。 【スズキ 2代目アルト】対抗するようにスズキは1983年、同社初のターボモデルをセルボに設定。1984年には2代目アルトが登場、1985年に軽自動車として初めて3気筒550ccEPIインタークーラーターボエンジンを搭載したアルトターボを追加。1986年には軽自動車唯一となる550ccDOHCエンジンを搭載したツインカム12RSを設定。 【ダイハツ ミラターボTR-XX】1985年、フルモデルチェンジしたミラ。2か月後に追加されたグレードがこちら。速さを感じさせるスポーティーかつ精悍な印象で、人気車種に。 【スズキ 初代アルトワークス】男性の人気を獲得すべく、満を持して1987年に登場した初代アルトワークス。戦闘力の高さを全面に押し出したルックスが特徴的。車名はレースのメーカーチームを意味するワークスに。