実は現状で旧姓使用はこんなに広がっている…自民党総裁選で話題沸騰の選択的夫婦別姓制度が「必要ない」といえるこれだけの理由
日本は、そもそもいつから夫婦同氏
小泉進次郎氏が、今回の自民党総裁選挙にあたって、自分が総理総裁になったら、1年で選択的夫婦別姓(夫婦別氏)を導入するとの姿勢を明確に打ち出し、話題になった。進次郎氏が経団連の十倉会長と面会し、この夫婦別姓を1年でやり切ると宣言したことに十倉会長から賛同を頂いたことも、大きく報じられた。 【写真】深圳日本人児童刺殺で「日本」を隠す、中国の挙動不審 しかしながら、進次郎氏の議論は、この問題が問うている本質的なことがわかっていないのではないかとの疑いを持たざるをえない。 よく、日本古来からの夫婦同姓を守れという保守派の主張は誤りだ、そもそも庶民が姓(氏)を持つようになったのは明治になってからではないか、江戸時代の侍の結婚では夫婦別姓が普通だった、なんて話が語られる。 そしてそれは表面的には正しい。 江戸時代の大名の結婚は、政略的な意味もあり、もともとの氏を維持したまま嫁ぐ形式を取っていた。武家同士の婚姻もこの形式に倣い、夫婦別氏が普通のあり方だった。そして平民にはそもそも氏はなかった。 だから、日本古来のやり方には夫婦同氏なんてものはなかったというのは間違いではない。 平民に氏の使用が許されたのは明治3年(1870年)になってからのことにすぎない。しかも使用が許されたからといって急に普及したかというとそうではなく、別になくても今まで通りで不便は感じないということで、なかなか普及しなかったのが実際だ。 ところが、これによって不便を感じたのは、実はお上の方だった。明治6年(1873年)に徴兵令が敷かれるのだが、氏がないままでは兵籍を整える必要上、困難が出てきた。例えば「太郎」だけで人間を特定するのはなかなか大変だったから、氏をちゃんと付けてもらいたいってことがあった。出身の村と名前で区別しようとすると、部落出身者の場合に困るといったこともあったということもあったようだ。それで明治8年(1875年)に氏の使用が義務化された。 氏が定まるようになると、今度は婚姻の際の氏をどうするかを決める必要に迫られた。それで明治9年(1876年)には、江戸時代の大名たちの婚姻制度にしたがって、妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされ、夫婦別氏制(夫婦別姓)が導入された。