広島じゃけん《お好み焼き》(1)遣唐使土産がルーツ? 戦後おやつの進化系
“うまいもん”の宝庫、広島。なかでも、“お好み焼き”はその代表格だ。地元のソウルフードの地位にとどまらず、今では全国で広く支持されるようになった。 広島のお好み焼きは、いつどのようにして誕生し、どのように広まっていったのか。その歴史や足取りをたどりながら、魅力を紹介していく。
“名物にうまい物なし”と言ったのは誰だったか。 しかし問いたい。美味しくない物が名物になりえるか。 さておいて、仕事や旅行で違う土地を訪れたときに「何を食べようか」となった時、誰でもその土地の名物を食べたいと思うだろう。北海道ならジンギスカンや味噌ラーメン。沖縄ならタコライスにソーキそば。ここ広島では、穴子や牡蠣、そして何といっても“お好み焼き”が有名だろう。 同じ“粉物”では東京のもんじゃ焼き、大阪風のお好み・タコ焼きも、メジャーだが、広島県民は野球のカープと同じくらい、特別にお好み焼きを愛している。それは子供の時から身近にあった食べ物だから、という事だけでなく、カープ球団と同時期に生まれ、同じように戦後からの復興を共にしたせいかもしれない。
関西圏と、少し離れてなぜか、広島と東北の一部で絶大な人気を誇る“お好み焼き”。そのルーツは西暦600年頃の飛鳥時代から始まった遣唐使の土産物に遡るという説がある。煎餅(せんべいではなくセンビン)と言われたそれは当時の唐(中国)で庶民の主食として食べられていた、小麦粉を水に溶き平らに焼いただけのシンプルな食べ物だったが、200年間で20回に及ぶ遣唐使の様々な持ち帰り品の1つが、今のお好み焼きの原型とは興味深い。 しかし、栗や芋類をすり潰して一口大に平たく焼いたものは、縄文遺跡の住居跡から、また同様に穀物を平らに焼いた餅状のものは弥生時代の遺跡からも出土している。保存食として乾かせやすく、また火も通りやすい形状にするのは理にかなう。食物を「平たくして焼く」のは賢くなった人類に共通する知恵でもあったようだ。