広島じゃけん《お好み焼き》(1)遣唐使土産がルーツ? 戦後おやつの進化系
その後、千利休によって考案された「ふの焼き」は、うどん粉を酒と水で溶いて焼き、山椒いりの味噌を塗って包んだ会席料理の中の一品「菓子」だったが、江戸時代になって中身を小豆餡に換えて再び流行し、それが明治期の終わりに登場した。もんじゃ焼きやどんどん焼きに繋がり、「一銭洋食」に名を変えると戦後の米不足と食糧難の時代に、いっきに全国に広がったという。
なお当時の一銭洋食は、うどん粉又は小麦粉を水で溶き、油をひいた鉄板の上に、玉杓子1杯ぶんをすくって流し、丸く広げた生地の上にネギ・干しエビ・粉鰹・ とろろ昆布等の安価な食材をのせて焼き、仕上げにウスターソースを塗ったもの。発売当時は一銭で、ソース味だったことから、「一銭洋食」と名付けられたそうだ。 昭和初期から戦後暫くまでの、お好み焼きが食事ではなく「おやつ」だった時代。広島焼き独特の“お好みソース”と、食事としての“お好み焼き”の登場は昭和25年に創業した、ある男性の発案を待たねばならなかった。 写真・文責 友廣義明