考察『光る君へ』48話「つづきは、またあした」まひろ(吉高由里子)の新しい物語へと三郎(柄本佑)は旅立つ「…嵐がくるわ」最終回、その強いまなざしの先に乱世が来ている
その後の彰子
道長が逝った日、行成もまた旅立った。43話での「行成は俺の傍にいろ」という言葉通り……。日記に道長と行成の死を記す実資の目から零れる涙。 生きるということは見送るということだ。実資は永承元年(1046年)90歳まで生き、都の人々を見送り続けた。彼の日記『小右記』は長元5年(1032年)までの記録を伝え、当時のことを知る上での貴重な資料となっている。 四納言のうち、ついにふたりだけになってしまった公任と斉信が、友たちに盃と歌を捧げた。この時のふたりの歌は『栄花物語』に残っている。 見し人の亡くなり行くを聞くままにいとど深山の寂しかりける(公任) 消え残る頭の雪を払ひつつ寂しき山を思ひやるかな(斉信) 訳はいらないであろう、どちらも友人として率直な気持ちが詠まれた歌だ。 長元元年(1028年)。後一条帝に皇子がいないことを憂い、頼宗が他家から女御を立てることを提案する。しかし、上等門院彰子は却下する。「他家を外戚としてはならぬ」。 彰子は女院として政への影響力を持ち続けたが、息子である後一条帝と後三条帝、孫の後冷泉帝にも先立たれた。そして、どの帝にも藤原氏を母とする皇子が生まれることはなく、女子ということで道長を落胆させた禎子(よしこ)内親王(三条帝/木村達成と姸子の娘)の皇子、後三条帝が即位するのである。 彰子は後三条帝の子、白河天皇の御代に87歳で薨去した。 見上愛は「おおせのままに」しか言えない寡黙な姫君時代から国母として権勢をふるう女院まで、一人の女性の成長と変化を演じきった。拍手を送りたい。
おさな友達を詠んだ歌なのですね
ちやは(国仲涼子)と惟規(高杉真宙)の菩提を弔うための仏像の隣に、乙丸が彫った仏像が祀られている。どこかきぬに似ている御仏だ。 「私が鳥になって見知らぬところに羽ばたいていこうと思って」と、古びた鳥籠を片付けるまひろに「私を置いていかないでください。どこまでもお供しとうございます」と乙丸が懇願する。 いと(信川清順)は老いて、惟規が既にこの世にいないことを忘れてしまった。 ドラマレビュー4回で、いとは為時の召人ではないかと述べた。そして彼女の処遇はどうなるのだろうかとずっと観ていた。最終回で彼女は、この家で家族同然の老後を迎えている。 いとは、召人という日陰の存在に『源氏物語』の中で名前と人格を与えた紫式部が主人公のドラマ、『光る君へ』にふさわしい登場人物であったと思う。 まひろは、賢子に自分の歌を集めたもの──のちの世に『紫式部集』と呼ばれる歌集を渡す。最初に記された歌は、 めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな (やっと会えたというのに、それがあなただという実感がわかない間にいなくなってしまわれたのですね。まるで雲に隠れる月のように) 賢子「おさな友達を詠んだ歌なのですね」 まひろ「……ええ」 『源氏物語』には、光る君(光源氏)が亡くなったことが示唆される題名だけの巻「雲隠」がある。 ドラマの視聴者は、『小倉百人一首』にも入っていて、紫式部の歌でもっとも有名な「めぐりあひて」の一首を、これからはまひろが道長に捧げたものだと思って読むのだ。 紫式部の一番有名な歌と『源氏物語』と、ドラマの設定とをすべて絡めて、この最終回でドンッと出してきた大石静の手腕……おみごととしか言いようがない。
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