東日本大震災を機に引退後、子ども向けランニングクラブ設立 ライフスタイルの変化を経て、今では「好きを仕事に」
今回の「M高史の陸上まるかじり」は江本里恵さん(旧姓:松本さん)のお話です。白鷗大学時代に全日本大学女子駅伝に出場。実業団でも競技を続け東日本実業団10000mで3位などのご活躍。現役引退後は結婚。育児をしながら整体院を開業されています。また、山口県宇部市で「UBE TRACK CLUB」を設立。小、中学生向けのクラブチームで代表をされています。 【写真】クラブチーム設立時には、城西大学の櫛部静二監督も駆けつけました!
福島県楢葉町出身の「マラソン一家」
江本さんは福島県楢葉町出身。「父が市民ランナーで、小学生の頃から県内外のロードレースに一緒に参加していました。夏には富士山を登ったり、ホノルルマラソンを家族で6時間かけて完走したり(笑)」。町ではマラソン一家と呼ばれていたそうです。 中学には陸上部がなく、ソフトボール部へ。陸上の大会に参加する時は特設陸上部として参加していました。 2年生の頃から小山内孝光さんという方に指導を仰ぎ、急成長を遂げました。3年生の時に福島県大会で優勝。東北大会では1500mで3位に。1500mでは全日本中学校選手権(全中)にも出場しました。 全中では予選落ちでしたが、ジュニアオリンピックでは5位入賞、都道府県女子駅伝は区間5位に入りました。「都道府県駅伝では町や顧問の井出先生の計らいもあり、親戚一同のバスを出してくれて、京都まで応援に駆けつけてくれたんです」 卒業後は湯本高校に進学されました。「小山内さんは高校でも指導してくださいました。練習メニューはきつかったけど、面白くて優しくて、充実した練習が積めました」。2年生で福島県総体1500m優勝。インターハイには1500mと3000mで出場しました。 「高校は自宅から1時間半くらいかけて通っていました。貧血に苦しんだ時期もありましたが、当時福島で強さを誇っていた田村高校に駅伝で勝ちたいという思いで走っていました」
白鷗大学では全日本大学女子駅伝に出場
高校時代は実業団入りが内定していましたが、その企業が経営難に陥り、直前で内定が取り消され、大学の道へ変更しました。同じ高校から進んでいた先輩に憧れて白鷗大学を選びました。 「大学では寮生活でした。1、2年生の頃はホームシックになり、なかなか思うように走れなくて、練習がオフの日は3時間かけて地元に帰ることもありました」 3年生、4年生のときには関東大学女子駅伝と全日本大学女子駅伝に出場しました。チームは2年間ともに関東と全日本で総合7位でした。 「当時の竹島先生は柔軟体操や姿勢を重視し、動き作りやメディシンボールを使った補強など、とても研究熱心な方でした。土の500mのグラウンドも懐かしいです」 駅伝で全国の舞台を経験したものの、うれしさよりも思い通りにいかなかったことの方が多かった学生生活だったと言います。「色々苦労したことも、自分の弱さが出たことも、今思えば貴重な時間で、大切な経験でした。自分にとってとても大きい4年間でした」と白鷗大学時代を振り返ります。