東日本大震災を機に引退後、子ども向けランニングクラブ設立 ライフスタイルの変化を経て、今では「好きを仕事に」
唯一の心残り「マラソンはやっていないんです」
大学卒業後は実業団の日本ケミコンへ。オリンピック日本代表・高橋千恵美さんをご指導された名将・泉田利治監督(現・石巻専修大学女子競走部監督)のご指導のもと、力を伸ばしていきました。高橋千恵美さんといえば世界クロカンに日本代表で9度出場し「クロカン女王」の異名をとるほど、クロスカントリーでの強さを発揮された方です。 泉田監督の練習メニューでは坂道や山など、起伏が多いコースを走ることが多かったそうです。最も印象に残っているレースは2008年の東日本実業団選手権。10000mでは3位となり、2位に渋井陽子さんが入るレースで大健闘を見せました。 実業団4年目となる2010年のかすみがうらマラソン10マイルで優勝し、シドニーマラソン(ハーフマラソン)に派遣もされました。ちなみにその年のかすみがうらマラソン10マイル男子で優勝されたのは、川内優輝選手です。 2011年3月11日。東日本大震災が発生しました。「その時は静岡で合宿中でした。練習に行く途中だったのですが、揺れを感じました。競技場に着いたら大騒ぎになっていて……」。地元の楢葉町が被災。自身も故障が多くて走れておらず、引退も考えていた時期だったということもあり、このタイミングで引退を決意しました。 10000mでは32分31秒、ハーフマラソンでは1時間12分08秒という記録を残しましたが、「マラソンはやっていないんです。今思うと、それが心残りですね」と実業団時代を振り返られました。
クラブチーム設立と故郷・楢葉町への思い
埼玉で介護福祉のお仕事をされた後、江本嵩至さん(現・宇部鴻城高校陸上競技部顧問)と結婚。育児をしながら日本マタニティ整体協会の資格を取って、女性向けの整体を開業し、妊婦さんの産後ケアなどをされています。 そんな中、中学校の部活動が地域移行されていくという記事を目にしました。「夫とも『いつか2人でクラブチームを立ち上げたいね』という話をずっとしていたので、このタイミングだと思い、すぐに動き始めたんです」。宇部鴻城高校で監督をしている嵩至さんの協力もあって、「UBE TRACK CLUB」を昨年設立。代表兼コーチを務めることになりました。 「改めて陸上って楽しいですね。また陸上に関わることができてうれしい気持ちです。発足して1年、皆さんの協力や支えにとても助けられています」。実業団を引退してから久しぶりの陸上の現場ということで、ワクワクする毎日を過ごされています。 「練習に来ている子どもたちの記録が伸びていったり、一生懸命に走る姿を応援できたりすることがやりがいですね。現役時代とはシューズも全然違いますし、ジェネレーションギャップを感じることもあります(笑)。練習では成長期に合わせて動き作りに力を入れています。競技に本気になりたい子たちが集まれる場所を作りたいです。練習以外も冬はみんなで焼き肉に行ったり、春は卒団式を兼ねてお花見をしたり。保護者の方もいらして60人くらいでワイワイしてました(笑)」 「陸上を通して見てきたもの、感じたこと、行った場所、出会ってきた指導者や仲間、サポートしてくれた人たち……。すべてに感謝の気持ちでいっぱいで、私の大切な思い出です。チームの子どもたちにも陸上を通じてスポーツの楽しさを知り、色々な経験をして人としても成長してほしいという思いで日々指導をしています」 故郷・楢葉町への思いもお話しされました。 「私の父は楢葉町の選手としてふくしま駅伝を走り、また監督も20年間務めて、一昨年に勇退しました。私も実はふくしま駅伝をいまだに走っています(笑)。全16区間約100kmのうち、女子の区間が4区間あります。楢葉町は被災して6年くらい住めない時期もあったため、なかなか若い選手がいなくて。なので私も、呼ばれたら走るようにしています」 整体院の仕事、育児、そして「UBE TRACK CLUB」の指導と毎日が全力疾走です。疲れよりも楽しさやうれしさを感じているそうです! 大学や実業団でも競技を続け、結婚や育児などライフスタイルの変化を経て、今では「好きなことを仕事に」「陸上競技への恩返しの活動」「経験したことを社会や地域に還元」と輝いておられます。現在、競技に打ち込んでいる現役選手や引退された方にとっては、江本さんの生き方も参考になることがきっとあるのではないでしょうか! 江本里恵さんの挑戦は続きます。
M高史