“世界へのランウエーであり続けたい”渋谷、原宿、竹下通り―「TOGA」デザイナー古田泰子さんと「VOGUE JAPAN」ティファニー・ゴドイ編集長が語るポストコロナ、アジア台頭、SNS時代のファッションとは? 「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
東京を代表するファッションタウン渋谷や原宿のストリートでは数々の若者の流行が生まれた。1980年代から90年代には「カラス族」「渋カジ」「裏原宿」などサブカルチャー的ファッションが次々と登場。2000代初頭に流行したギャル文化の要素をハイブランドやKポップが取り入れた「Y2K」も、いま注目を浴びている。国内外で人気のファッションブランド「TOGA(トーガ)」のデザイナー・古田泰子さんと世界的ファッション誌の日本版「VOGUE JAPAN(ヴォーグジャパン)」編集長のティファニー・ゴドイさんに、東京のファッションとカルチャーの昭和から平成、そして令和までの変遷、アジアの台頭など、世界の潮流について渋谷パルコで話を聞いた。(共同通信=内田朋子) 「路頭に迷いつつある都市」渋谷から見える日本社会の未来、カルチャーの行方とは? 社会学者の吉見俊哉さんとアーティストの宇川直宏さんが渋谷パルコで対談「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~
▽勢いあったストリート 1997年に「トーガ」を設立し、2014年からはロンドンをコレクション発表の拠点にしながら活躍する古田さん。カッティングの方法、異素材をミックスし異なるテイストを融合させた斬新なデザイン、またすべてのジェンダーに向けた発信は世界中に多くのファンを持つ。 22年にヴォーグジャパン編集長に就任して大きな話題を呼んだティファニーさん。米国の大学卒業後の90年代後半から日本を拠点に活動を始め、インディペンデント誌「コンポジット(Composite)」を皮切りにファッション誌の編集者としてのキャリアを積んできた。ニューヨーク・タイムズなど海外の媒体に日本のファッション情報を寄稿し、NHK番組「トウキョウ・ファッション・エキスプレス」ではナビゲーターも担当した。 日本のファッション界をリードする古田さんのルーツは、10~20代を過ごした1990年代、ストリートファッションの中心的な舞台であった渋谷や原宿の街にある。
原宿のファッション専門校の学生だったころ、授業に出席するより、竹下通りやファッションビル「ラフォーレ原宿」地下にあったショップなどに頻繁に通った。街を行き交う人々から大きな刺激を受けていたという。「今振り返ると学生時代は時間があった。デザインについていろんなことを考える余裕があって、『あんな服を作りたい』など友人たちとミスタードーナツなんかでフリーコーヒーを飲みながら何時間も話し合っていた」と笑う。 当時の渋谷や原宿の街にはそれほど誰をも引きつけるパワーがあった。ファストファッションの流行が始まるずっと前、竹下通りには安くて流行の服を売る小さなお店や古着屋がいくつもあり、街行く普通の人々も本当におしゃれだった。 ▽ネット時代幕開けの出会い ティファニーさんは97年に来日。渋谷のファッションビル「109」が10代の女性の聖地となった時期と重なる。「渋谷にはギャル文化、原宿にはラフォーレがあって、リッチで多様なスタイルがあふれていた。カリフォルニア出身で、パリにも住んでいたけれど、原宿は街自体がランウエーというくらいファッショナブルだった」。お金のある人たちがハイブランドを着る一方で、街を歩く人々はシンプルな黒い革ジャンとジーンズだけのパリとは対照的。「東京のストリートの一般の人たちのデーリーウエアの方が優れていた」とティファニーさんの目には映った。
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