プロレスは「一番合わない格闘技」 70歳の現役レスラー藤波辰爾…1日でも長く“リングに”
■新日本プロレスの旗揚げ…営業も何も「自分でやる」
──日本プロレスに入門して1年ほどで、猪木さんが新日本プロレスをおこし、藤波さんもそこに加わった。 僕自身がやっぱり猪木さんに憧れていた。やっぱり、技の華麗さと、自分の怒りの形相ですよね。あのそのまま。他の方も猪木さんの格好よさ知ってると思いますが、もうそれに近いものがありますよね。入門してからだと、猪木さんの格好良さが格好いいだけじゃない、怖さに変わりましたけどね。 ──今でこそ人気の新日本プロレスだが、当初は苦労も多かった。 もう本当に最初だから、興行的に本当に月に3~4試合ぐらいしか組めないんですよ、地方巡業がね。興行が簡単にできるものではないので。当時の新日本プロレスは“インディペンデント”だったので、独自で自分たちで会場を開いていかなきゃいけなかった。 営業もいるんだけど、やっぱり自分たちでもお客さんを入れろというか。だからポスター貼ったりとか、チケットを営業したりとか、そういうのは自然とやりましたよね。
■メキシコで見た“ドラゴンロケット” 「こいつらアホか?」
──海外修業を経て日本に戻ってからは、“藤波ファン”を多く取り入れた印象があります。 自分自身は、そんな余裕ないですね。やっぱり何だかんだ言ったって、馬場さん・猪木さんだって、ああいうでかい選手がやっぱり絶対的なのはまだ層が厚いんで。 新日本プロレスに、猪木さんの右腕みたいな新間(寿)さんという宣伝マンがいてね。絶対的な存在の猪木さんともう一つ、お客さんの目をひく物を作りたかったのか、試合が始まる前に必ず僕に耳打ちするんですよ。「何かやれよって」。試合中もセコンドにいてずっと見ている。 こりゃ、何かやらなきゃいけないのかなって。でも、自分ではそんな突拍子もないことはできないし。だから、もう無意識ですよね。“ドラゴン・スープレックス”(※腕と首をきめて相手を投げる得意技)もニューヨークにいた時に、こういう技あるよ、こういうスープレックスもあるよと教えてもらっただけであって、実際にやってないし、練習もしてなかったし、それがたまたま上手くきまって“ドラゴン・スープレックス”になったんだよね。 あと“ドラゴンロケット”(※リング外に落ちた相手に向かって飛び込む大技)。メキシコに行った時に初めて見た時に、「こいつらアホか?」と思いましたよ。 リングの下にマットもないし、メキシコだったら(リングは)闘技場だから石ころがいっぱいある。そこに向かって飛んでいくわけだから。まあ、相手に当たればいいけど、うまく当たらなかった時は水のないプールに飛び込むみたいなもんだから、そんなこと僕は絶対できないなと思って…。それが、日本に帰ったらやっちゃうんですよ。 それが今度テレビで放送されると、やっぱり今までにない動きだからお客さんは騒いでくれる。ヒット曲みたいなものだから、各会場でそれが目当てになっちゃう。絶対やらなきゃいけないという。だから、毎日それがもう恐怖心でしたよ。 でも、半分はやっぱりお客さんの歓声であったりとか、それが自分の中で酔っちゃっているんですよね、だから、そうなると夜が明けるのが待ち遠しいぐらいに、ずっと地方を回ってましたね。