躁鬱病に苦しんでいた若き日本人哲学者が、ある日突然「人類愛教」の教祖になり、崩壊し、そこから始めたこと
なぜ「人類愛教」は崩壊したか
「人類愛教」崩壊の直接の原因は、それまで何年も躁鬱に悩まされてきたわたしの鬱が悪化したことにあった。しかしより根源的な理由は、わたしが哲学に本当の意味で出会ったことによる。 哲学とは、まず何をおいても自らを確かめ直す営みである。自身の信念や思想を問い直し、それが真に普遍性を持ちうるものであるか吟味する。 その過程において、わたしは、「人類愛」は、じつはわたしの病的な精神が作り上げた、独りよがりなヴィジョンだったのではないかという疑いを抱くようになった。あれほどありありと見えたあの「人類愛」のイメージは、しかしじつは、わたし自身のある欲望によって作り出された、一つの幻影だったのではないか、と。 わたし自身の、ある欲望によって――? 端的に言えば、それはわたしの「孤独を埋めたい欲望」だった。子どもの頃から、だれからも理解されない、だれからも愛されたことがないと思い込んでいたわたしは、長い間、大きな孤独を抱えていた。 それが、ある時人生最大の躁状態が訪れたのに伴って、いわば反動的に、わたしに「人類愛」のヴィジョンを強烈に与えたのだ。わたしが愛されていないはずがない。なぜなら本来、人類はそもそもにおいて愛し合っているのだから!
あの「感じ」は何だったのか
しかしそれは、わたしが自らの苦悩の反動として捏造した幻想にすぎなかった。哲学に本当の意味で出会ったことで、わたしはそのことを理解した。 こうしてわたしは、それまで自分が信じていたものもろともに、壊れ去った。 その後しばらく続いた暗鬱の時期の後、わたしは「人類愛」の思想をきっぱりと捨て去った。そうして、「確かめ可能」な普遍性を探究する営みとしての、哲学の道に入った。 しかし、その後も長らく、どうしても分からなかったことがあった。 わたしにありありと見えていたあの「人類愛」のヴィジョンは、確かにわたしの孤独の苦悩が生み出した幻影だったのだろう。しかしそれでもなお、あの時わたしは、確かに「人類愛」の恍惚を胸一杯に味わっていた。わたしは全人類を愛していると感じていたし、また全人類から愛されていると感じていた。 あの「感じ」は、いったい何だったのか? あの「感じ」がわたしにやってきたことそれ自体は、今なお拭い去れない確かな感触だ。 しかしあれは、本当に「愛」と呼ぶべきものだったのか? そう呼ぶほかにわたしは言葉を見つけられなかったが、しかしあれは本当に「愛」だったのか? そうだとするなら、なぜなのか? もしそうでなかったとするなら、いったい全体何だったのか? そして、ではそもそも、「愛」とはいったい、何なのか? 【つづきの「「性愛」、「恋愛」、「友愛」、「親子愛」は、まったく違う情念にもかかわらず、なぜどれも「愛」と呼ばれてきたのか」では、いよいよ「愛」の本質に迫ります。】 *
苫野 一徳(熊本大学教育学部准教授)