「山一証券破たんの調査をやってくれませんか」なぜ“ミンボー専門”のマチベンだった42歳の弁護士が、前例のない調査を引き受けたのか 今だから明かせる「報告書」をめぐる舞台裏ー平成事件史(17)戦後最大の経営破たん
「予想もしていませんでした。嘉本さんが『調査チームには法律家が必要なんじゃないか』と言い出して、弁護士を探していた。ただし、顧問弁護士は会社に近すぎて、会社を追及することはできない。 あくまで、しがらみのない『第三者』の立場でやってくれる弁護士が誰かいないのかと。そんなとき委員長が、『そういえば、総会屋対応をしていた声の大きい弁護士がいたよな』と私のことが頭に浮かんだようです」(国広) これに対して国広は当初、「わたしはただのミンボー専門の弁護士で、総会屋や暴力団のことはわかりますが、簿外債務のことはわからないし、証券金融の法律は詳しくないので、そんなのできないですよ」と断わろうと思ったという。 それでも、考えた末に引き受けることを決意した。「火中の栗を拾う」それは国広の信条でもあった。 「職を失う社員や国民が、一番知りたかったのは『山一はなぜ潰れることになったのか』という根本的な疑問です。 細かい証券金融の仕組みじゃなくて『なぜ簿外債務が発生したのか、それをどう隠してきたのか』という事実だろうと。 調査で事実を積み重ね、材料を集め、それに法的判断を加えながら「調査報告書」を組み立てていくのは、やはり弁護士の仕事だろうと。走りながらやれば、できるのではないかと思って、引き受けました」 調査委員会のメンバーとなった国広は社長の野澤に挨拶した。 「わたしも引き受けるからには徹底してやらせていただきますよ」 野澤は「はい」と答えたが、国広はさらに念を押した。 「まずい事実があとから判明した場合でも、公表しないとは言わないでください」 野澤は「もちろんです。しっかりやってください」と答えた。 国広は野澤に会ったとき、こう感じたという。 「『簿外債務』があったことは、山一のほとんどの社員は知らなかった。野澤さんも、破綻の3か月前に就任したので、そのときまで簿外債務の存在は知らされていなかった。だから、自分は被害者だと思っている。 『最後に社長を押し付けられた』という被害者意識。労組や社員からの吊し上げもあって『徹底した調査』を約束してくれたんです。徹底的に書いてください、という感じでした。 ところが、いざ『社内調査報告書』を公表すると、態度が急変しました。野澤さんは、ここまで詳しい調査結果が出るとは想像していなかった。山一のOBたちからも風当たりが強かった。私はそういうことも想定して、最初に約束してもらったんです」