奔放な恋に生きた歌人・和泉式部
8月4日(日)放送の『光る君へ』第30回「つながる言の葉」では、まひろ(のちの紫式部/むらさきしきぶ/吉高由里子)の紡ぎ出す物語が、人々の関心を寄せ始めた様子が描かれた。まひろの噂が藤原道長(ふじわらのみちなが/柄本佑)の耳にも届き、二人は再び相まみえることになる。 ■内裏に深く影響を与える〝読み物〟 まひろが夫を失ってから3年目の夏、京は深刻な干ばつに見舞われた。 藤原道長は、すでに引退していた安倍晴明(あべのはるあきら/せいめい/ユースケ・サンタマリア)に、自身の寿命10年と引き換えに祈祷を依頼。やむなく重い腰を上げた晴明の命を賭した祈祷により、京に雷雨がもたらされた。恵みの雨に民が喜びの声をあげる一方、精根尽き果て、倒れた晴明の姿は急速に老け込んでいた。 その頃、藤原公任(きんとう/町田啓太)の屋敷である四条宮で和歌の指導を行なっていたまひろは、訪れるたびに自身の作った物語「カササギ語り」を女房たちに読み聞かせていた。先が気になる話の運びに、女房たちは夢中になり、評判となっていた。 ある日、まひろは、親王と熱愛を繰り広げる自由奔放な歌人として知られる、あかね(のちの和泉式部/いずみしきぶ/泉里香)から、清少納言の執筆した「枕草子」が宮中で流行していることを聞かされる。「枕草子」は亡き皇后・定子の思い出が描かれた書物で、皇后をこよなく愛した一条天皇(塩野瑛久)もお気に入りの読み物だった。 そんななか、自身の娘である中宮・藤原彰子(見上愛)に一条天皇の関心を何とかして向けさせたい道長は、書物好きの天皇に「枕草子」を超える読み物を用意してはどうか、と藤原行成(渡辺大知)に提案される。 公任から女房たちの評判を聞かされた道長は、こっそりまひろの屋敷を訪ね、まひろを驚かせたのだった。 ■直感的に歌を詠む天才と評された式部 和泉式部は、越前守を務めた大江雅致(おおえのまさむね)の娘として生まれた。母は越中守・平保衡の娘といわれている。生年は分かっていない。円融(えんゆう)天皇の治世下である970年代を生年とする見方が一般的だ。 幼い頃から内裏に出仕していたとされており、仕えていたのは、父・雅致の縁で冷泉(れいぜい)皇后・昌子内親王(しょうしないしんのう)のもとだったといわれている。 996(長徳2)年頃に官吏の橘道貞(たちばなのみちさだ)と結婚。式部が20歳前後のことと推定されている。道貞の官名が和泉守だったことから、この頃より「和泉式部」との呼称が用いられるようになったらしい。