北九州の台所「旦過市場」は本当に再生できるのか? 老朽化建物が続々解体、成功のカギを握る超重要な要因とは?
九州最大都市の栄枯盛衰
かつて北九州市は製鉄業を中心に発展し、 「九州最大の都市」(1963~1979年) として人口100万人以上を誇っていた。しかし、製鉄業の衰退や企業の転出が続き、2024年10月1日時点で人口は90万8109人まで減少。わずか6年前の2018年10月には94万5595人だったので、約4万人の人口が減ったことになる。一方で、福岡市は「アジアの玄関口」として発展を続けており、両都市の対照的な状況が際立っている。 そんな長期の低迷のなかでも、旦過市場を含む小倉地区には回復の兆しが見え始めている。その象徴的な事例が、JR小倉駅前にある商業ビル「セントシティ北九州」の再生だ。このビルは1993年に「小倉そごう」が入居してオープンし、続いて地場百貨店「小倉玉屋」、さらに伊勢丹、最後に井筒屋が「コレット」として運営してきたが、どの百貨店も撤退を繰り返してきた。 2019年に「コレット」が撤退したことで、ビル運営会社・北九州都心開発(もともと、小倉そごう撤退後の運営のために地元出資で作られた法人)は危機を転機に変え、大胆な業態転換を実施。2021年にビル名を「セントシティ」に改め、ユニクロ、ザラ、無印良品といった大型専門店と地元発のテナントを組み合わせた複合商業施設として生まれ変わった。さらに、7~9階はオフィスに転換し、機能を複合化。この戦略は特に若い世代から支持を集め、成功を収めている。 ただし、この成功はあくまで小倉地区の一部であり、地区全体としては、まだ復活に向けた多くの課題が残されている。
市内全域で求心力低下の現実
北九州市の『令和4年度北九州市商圏報告書』の分析では、小倉地区の深刻な状況が浮かび上がっている。 まず、来街者の基本的な動向を確認すると、来街目的は「食事・喫茶・飲食」が最も多く、「日常の買物」や「ウィンドウショッピング」が続く。男性は「所用(仕事や銀行など)」「娯楽」「市役所などの公共機関の利用」の割合が女性より高い。また、交通手段は「自家用車」が最多で、次いで「バス」となっている。 特に深刻なのは、小倉中心市街地への来街頻度の変化だ。報告書によれば、買い物目的に限らず、月に1回以上小倉を訪れる人は全体の31.5%にとどまっている。居住地別では、市内居住者が44.3%であるのに対し、市外居住者はわずか16.9%だ。 さらに、来街頻度が2~3年前と比べてどう変化したかという質問では、全体で「非常に増えた」や「やや増えた」と答えた人は16.3%であるのに対し、「やや減った」や「非常に減った」と答えた人は43.0%に達しており、深刻な状況だ。 特に懸念されるのは、この減少傾向が市内全ての行政区で見られる点だ。隣接する小倉南区では、増加層が9.5%に対して減少層が53.4%で、戸畑区でも増加層が8.7%に対し減少層が54.4%となっており、深刻な状況が示されている。小倉中心市街地のある小倉北区でさえ、増加層は16.9%に対し減少層は45.5%で、大幅な減少超過となっている。 これらのデータは、小倉地区の求心力が 「市内全域で低下している」 ことを示している。特に隣接区からの来街者の減少は、地域の中心市街地としての機能が弱体化していることを示唆している。