「望む形の復帰ではないことを、命をかけて表現しようとしたのか」――復帰1年後に国会議事堂に激突死した沖縄の青年が残すもの
当時に思いを馳せるように宙を見る。「安隆さんの思想については、あくまでも、いわば状況証拠と時代背景を重ね合わせた上での想像にすぎませんが」と慎重に言葉を選んだ。 「沖縄から復帰を望んだように見えますが、結局は日米共同の管理体制の移行だったのではないか。上原さんは本土で就職して生活するうちに、そのことを身に染みて感じていったんだと思う。バイクで国家に突っ込んでいくことの意味は、日常的な矛盾の背後に国家というものを感じ取ったということではないのか。そう受け止めざるを得ないところがあります」
若い世代に知ってもらいたい
安隆さんの死にこだわる人物がもう一人いる。劇団O.Z.Eを主宰し、作・演出を務める真栄平仁さん(53)。沖縄では、ひーぷーさんと言ったほうが通りがいい。地元のテレビやラジオでMCを務めるなど、お茶の間を楽しませる人気者だ。 真栄平さんは、埋もれていた安隆さんの死を掘り起こし、「72’ライダー」という芝居を書いた。初演は2012年。復帰40年のタイミングだった。復帰50年の今年、「那覇文化芸術劇場 なはーと」で再演した。 「いつごろ知ったのかはっきり覚えていないんですが、少なくとも20歳を過ぎてからはずっと頭の中にありました。学校で習った記憶はないです。何かのきっかけで、誰かから聞いたんじゃなかったかと思います。聞いた途端、ビビッときたんです。何か、すごく強い思いがないとできないようなことなので。しかも、復帰させろと言ってやるならまだしも、復帰した後に実行したわけだから。よほど訴えたいことがあったんだろう、いつか芝居にしようと思っていたんです」
1972年生まれを「復帰っ子」と呼ぶが、「72’ライダー」は復帰っ子の同窓会で幕を開ける。もしそこに安隆さんがいたら、どういう会話が交わされるだろうか──真栄平さんの想像力がストーリーを引っ張っていく。作中に登場する「安隆」は復帰っ子の設定で、昔話をしてはしゃぐ同級生に心を閉ざし、大好きなオートバイをいじることに集中する。 真栄平さんは、安隆さんについて調べられる限りのことを調べ、世代を超えてその思いを受け取ろうとした。 「上原さんは、キャンプ・ハンセンのそばで育って、薬莢を拾ったり、青年になってからはコザに出て、米兵相手のお店で働いたりして、生計を立てていたそうです。芝居の中で『(コザ騒動で)米軍の車に火をつけたことと、酒を飲んで運転して人をひくのと、どちらが悪いのか』『婦女暴行して何の罪にも問われないのとどちらがひどいのか』というせりふを書きましたが、何か複雑で矛盾した、煮えたぎる怒りみたいなものが彼の中にあったんだろうとしか思えないんです。生きて沖縄を変えていくという選択肢もあったと思うんですが、それ(国会議事堂に突っ込む)しかもう方法がないと思ったのか……」