巨人で「幻のスラッガー」となった男たち…“王貞治のライバル”やけがに悩まされ続けた選手も
巨人の2年目外野手・浅野翔吾が8月14日の阪神戦で満塁本塁打を放つなど、急成長を見せている。巨人では過去にも松井秀喜、坂本勇人らが浅野同様、10代から活躍しているが、その一方で、将来を嘱望されながら、大成できずに終わった主軸候補も少なくない。 【写真】「2億円」が「400万円」に急降下 球史に残る“大減俸”を味わった選手がこちら “王貞治のライバル”として、今でもコアなファンの間で語り継がれているのが、木次文夫だ。 松商学園3年夏に出場した甲子園では、2回戦で優勝した中京商(現中京大中京)に6対7で敗れたものの、木次は中越え三塁打を放ち、大会屈指の強打者と注目された。 その後、早稲田大を受験するが、受験票を忘れて試験を受けられず、一浪の末、入学。結果的にこの回り道が野球人生に大きな影響を及ぼすことになる。 早大時代に長嶋茂雄(立大)の通算8本塁打に次ぐ7本塁打を記録した木次は1960年、川上哲治の後継一塁手と期待され、鳴り物入りで巨人入り。契約金は2年前の長嶋を上回っていたとも伝わる。 巨人の一塁は前年、高卒ルーキーの王貞治が守っていたが、打率.161、7本塁打、25打点に終わっていた。60年は木次が王に代わって一塁のポジションを手にする可能性もあった。 だが、強力なライバル入団に、王も危機感を抱く。春季キャンプで初めて木次の打撃を見た王は「ものすごい長打力があったんです。プロのチームはどこでも長打者を求めていますからね。大変なライバルだと思わないわけにはいかなかった。正直いってこわかったですよ。ぼやぼやしていると、ベンチへ下げられる。これは頑張らなきゃいかん、と思いました」(上前淳一郎著「巨人軍陰のベストナイン」角川文庫)とあとがない覚悟で2年目に臨んだ。 この結果、同年、王は打率.270、17本塁打、71打点(いずれもチーム最多)とチームの主力打者に急成長。ここから球史に残る大打者への道を歩みはじめる。 一方、木次は出場23試合の23打数2安打1打点、打率.087と結果を出せず、2年目も打率.130、1打点。3年目は国鉄でプレーしたが、8打数0安打6三振に終わり、本塁打ゼロのまま、わずか3年で現役引退となった。