人生は自分で決め、自分で歩くもの」偶然の出会いを成長につなげたてきた元ラグビー女子日本代表の玉井希絵さん【働くって何?③】
女子ラグビー元日本代表の玉井希絵さん(31)は2023年、世界最高峰のラグビーリーグに挑戦するためイングランドに渡った。日本だと「30歳になったらそろそろ引退だよね」との声も聞こえ始める。だが、イングランドでは出産後や、ほかの職業につきながらプレーを続けられる環境があると聞き、自らその世界に飛び込んだ。 【写真】焦る女性社員が見つけた「新しいキャリア」 やる気になった原因は会社のある「態度」だった
偶然の出会いを成長につなげてきた玉井さん。「とにかく一度はやってみる」という気持ちを大事にしてきた。選手生活の集大成となるイングランドでは引退後を見据え、他の選手のモデルとなるようなセカンドキャリア像も模索している。(共同通信=宮毛篤史) ▽高校はバスケ部、先生の一声が転機 玉井さんは三重県松阪市の出身。父は教員で高校野球の監督、母はヒップホップのダンサー、兄は高校球児というスポーツ一家で育った。 高校3年間はバスケットボール部だった。部活を引退し、関西学院大への推薦入学も決まって暇を持て余していたとき、廊下ですれ違ったラグビー部の先生から声をかけられた。「女子のトライアウトがあるから行ってみいひんか?」。将来有望な選手を育成するための選考会に誘われた。 ラグビーボールに触ったことすらなかったが返事した。「その日、空いてるから行きます」。会場は日本ラグビーの聖地・花園。周りはほとんどが経験者だったが、バスケ部を引退したばかりで「体力が一番ある時」だった。
持久力には自信があり、ボールを投げたり取ったりすることにはバスケの経験が生きた。結果は合格。参加者には、その後、日本代表のチームメートになる左高裕佳さんらがいた ▽ファミレスで面会、そのまま入部 選考会に合格した選手を集めた強化合宿が毎月開かれ、現役の日本代表選手と交流し刺激を受けた。教えは厳しかったが「このレベルの選手でも基礎を大事にするんだ、準備運動を大事にするんだということが分かって勉強になった」 大学入学後は、キャンパスライフに憧れてダンスとラグビーのサークルを掛け持ちした。ラグビーは男子チームのマネジャーで「人数が足りない時に入ることがあった」という程度。学校外で女子ラグビーチームに所属したが、練習は週に1回だった。 大学1年が終わろうとしていた時、故郷の三重で強化合宿が開かれた。地元高校の監督と父親が知り合いで、一緒に食事に行った。その監督にラグビーサークルに入っていると伝えると「せっかく関学におんのにもったいない。オレが連絡したるわ」と言われ、その夜のうちに関学の関係者に電話で紹介してくれた。