【野球殿堂】阿部慎之助、イチロー、上原浩治、福浦和也、岡田彰布、尾花高夫ら各氏候補に/一覧
野球殿堂博物館は3日、25年の野球殿堂入り候補者を発表した。新たに、計8人が候補に加わった。 【写真】プロ初安打を放つオリックス時代のイチロー プレーヤー表彰は、阿部慎之助氏(45)、イチロー氏(51)、上原浩治氏(49)、福浦和也氏(48)。 エキスパート表彰は、岡田彰布氏(67)、尾花高夫氏(67)。 特別表彰は、近藤兵太郎氏(故人)、斎藤三郎氏(故人)。 殿堂入りする人は、25年1月16日に発表予定。 【プレーヤー表彰】 現役を引退したプロ野球選手で、引退後5年以上経過した人が対象。19年に引退した4人が新たに候補入りした。 ▼阿部慎之助 01年から引退まで、巨人で19年プレー。主砲として活躍し、正捕手としてもチームを支えた。10年に44本塁打。12年に首位打者、打点王、最高出塁率で、リーグ優勝&日本一に貢献。セ・リーグMVPに選ばれた。通算2282試合、2132安打、406本塁打、打率2割8分4厘。 ▼イチロー 92年から00年までオリックスでプレー。94年に当時のプロ野球記録となるシーズン210安打。以降、00年まで7年連続打率3割。日本では通算951試合、1278安打、118本塁打、529打点、199盗塁、打率3割5分3厘。01年からはメジャーに移り、19年までマリナーズ、ヤンキースでプレー。米国通算19年で2653試合、3089安打、117本塁打、780打点、509盗塁、打率3割1分1厘。日米計28年で3604試合、4367安打、235本塁打、1309打点、708盗塁、打率3割2分2厘。 ▼上原浩治 99年から18年まで巨人。1年目に20勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、勝率第1位、沢村賞などを獲得。以降、先発の柱としてチームを支えた。07年は抑えで32セーブ。09年からメジャーに移り、オリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブスでプレー。13年にレッドソックスでワールドシリーズ制覇。18年に巨人に復帰し、日本人初の日米通算100勝、100セーブ、100ホールドを達成。。日本通算312試合、112勝67敗、33セーブ、23ホールド、防御率3・02。米国通算436試合、22勝26敗95セーブ、81ホールド、防御率2・66。 ▼福浦和也 94年から引退まで、ロッテで26年プレー。01年に首位打者を獲得した。「幕張の安打製造機」。通算2235試合、2000安打、118本塁打、935打点、打率2割8分4厘。 【エキスパート表彰】 現役を引退したプロ野球のコーチ、監督で、引退後6カ月以上経過している人や、現役を引退したプロ野球選手で、引退後21年以上経過した人が対象。新たに2人が候補入りした。 ▼岡田彰布 現役時は阪神、オリックスで実働16年、1639試合、1520安打、247本塁打、打率2割7分7厘。オリックス、阪神のコーチを経て、04年から阪神、オリックスで監督を歴任した。 ▼尾花高夫 現役時はヤクルトで実働14年、425試合、112勝135敗、29セーブ、防御率3・82。95年からはロッテ、ヤクルト、ダイエー、ソフトバンク、巨人、ヤクルトとコーチを歴任。10、11年は横浜で監督を務めた。 【特別表彰】 現役を引退したアマチュア野球の競技者やプロ、アマの審判員、日本の野球の普及・発展に貢献した人などが対象。新たに2人が候補入りした。 ▼近藤兵太郎 松山商のコーチとして、1919年にチームを夏の甲子園に導く。台湾へ渡り、嘉義農林の指導者となり、31年夏の甲子園で準優勝。日本・台湾の野球の発展に貢献した。 ▼斎藤三郎 野球伝来を1872年(明5)と提唱した野球史研究家。明治・大正期の野球書の解題「日本野球文献解題」やさまざまな雑誌で野球史を分かりやすく解説。日本野球史研究の第一人者だった。