「あるべきだけど作られていない映画を作る」…ドキュメンタリー「アイヌプリ」の福永壮志監督
撮影は2019年から。ドキュメンタリーとして撮った理由の一つとして、「シゲさんが行っていることや姿、人となりがとても魅力的だったので、(フィクションに)作り変えるよりも、そのままのほうがいいのではないかという直感があった」という。
説明的なボイスオーバー(ナレーション)などは入れていない。当初の編集には入っていたが、「方向を変えた」という。文字の情報も最小限にとどめている。その分、観客は、耳を澄ませ、目を凝らすことになる。情報量が少ないからこそ「集中力」を喚起するつくりだ。
「シゲさんとその家族の人となりをできるだけそのまま出して、話す言葉、動作、仕草をそのまま見て体感してほしかった」と言う。
「何を大事にするかという時に、別に教材を作っているわけじゃないし、シゲさんという人の魅力がちゃんと伝わるよう、画面の中で起きていることをそのまま体感してもらうのが一番だと思って、テキスト的な情報を最小限にしました」
人を凝視し、その日常を凝視していると、思いがけないものが見えてくることがある。映画の終幕は、シゲさん一家が毎夏出かける道東沿岸部、北方領土の国後島が見えるキャンプ場。そこで祈りをささげる主人公たちの姿は、この映画の世界をさらに広げる。
「和人の監督」がアイヌの映画を撮るということ
「アイヌプリ」を見た人の多くは、天内さんをはじめとする登場人物を「かっこいい」と思うだろう。福永監督自身も「すごくかっこいいと思っている」。ただ、過剰な美化をしてしまわないよう、注意を払ったという。
福永監督は、非アイヌの「和人の監督」である自分がアイヌの映画を撮るということの「繊細さというか、危うさ」に自覚的だ。
「『かっこいい』と思って描いていても、それが過剰な美化になってしまえば、それを見たアイヌの人たちが違和感を持つ作品になってしまう。『アイヌモシリ』の時にも意識していたことですが、そういうことには気をつけながら撮影していましたし、編集でも時間をかけて見返しました」