なぜ村田諒太の”魂の戦い”は”最強”ゴロフキンに9回TKO負けしながらも人々の感動を呼んだのか…現役引退を決断
2年半にわたる新型コロナとの戦いがあった。その間、流れた試合は、実に8度。昨年5月にTシャツまで作って準備していた無敗のWBAの上位ランカーとの試合が流れたときには、張り詰めたものがプツンと切れた。 「今すぐ引退しますよ」 村田からの連絡に驚いた。 このまま試合をせずにグローブを吊るすのか?と問うと、「2年も試合をしないまま、あのゴロフキンと戦うことは怖いんです」と村田は本音を吐露した。階級は違うが、WBA世界バンタム級スーパー、IBF世界同級王者の井上尚弥(大橋)は、海外で試合をコンスタントに消化していた。 「人と比較してはダメなんですが…」 モンスターが羨ましくも思えた。 だが、次の日も村田は練習を休まなかった。 自己と向き合う日々が続く。メンタルトレーナーの田中ウルヴェ京さんと定期的なセッションを持つようになったのが、この頃だった。ひとつの言葉を投げかけられた。 「自己肯定とはありのままの自分を見ること」 村田は結論を導く。努力への過程こそ自己肯定できるものではないのか。 ゴロフキンという偉大なボクサーは、その内なる戦いと努力に値すべき存在だった。 だが、細い心の糸をつなぎ止めた村田を最後の試練が襲う。昨年12月29日に予定されていたゴロフキン戦が、政府のオミクロン株対策による新規外国人の入国禁止で延期となったのである。このときの村田の落ち込み様といったらなかった。ただならぬ気配を察知した、南京都高(現・京都廣学館高)ボクシング部の先輩で後援会の会長でもある近藤太郎氏が音頭をとり気の置けない仲間を集めて村田を激励した。 「僕だって心は折れますよ」 村田は、その心境を双六の人生ゲームに例えたという。 「やっと蜃気楼みたいな上がりのゴールが見えた。あと5コマ。サイコロをふったら4が出ました。するとそこに書かれていたのは100マス戻る。そんな気分ですわ」 村田の心の揺れは想像を絶するものだった。 村田は、不安に駆り立てられたとき父から贈られたビクトール・フランクルの世界的ベストセラ―「夜と霧」を読み返した。ユダヤ人としてナチスのアウシュビッツ収容所に入れられ、絶望の最中、希望を失わなかった人々の姿を描き、人間の生きる意味を問う作品である。 「人生に意味を求めるのではなく人生からの問いにどう答えるか」 失礼かもしれないが、生と死の狭間で希望を失わなかった人々の生きざまに今の自分が置かれた立場を重ねてみた。 村田は、試合の前1か月前から、カフェイン断ちをするのだが、その日ばかりは、思う存分、カップにコーヒーを注いだという。 本田会長は「勝っても負けてもこの試合を最後にするつもりだったんじゃないか、もうやらないでしょう」と村田の引退を示唆した。 村田は、この試合を最後に引退する意思を固めた。実は本田会長の言葉通りに村田は勝っても負けても、この試合をラストマッチとすることを心に決めていた。 36歳の肉体はボロボロだった。本田会長によると、「首、肘、膝と故障だらけ」で、恒例の走り込みキャンプもできず、3月1日にホテルに入ってからは一度もロードワークを行っていない。最後に防衛戦を行った2019年12月のスティーブン・バトラー戦は、5回TKOで勝ったが、目の周りが腫れるほどの被弾があり、そのダメージで動体視力がガクッと落ちた。自己の内面と向き合い続けた精神も肉体ももう限界だった。 「早く解放されたい」。試合ができない間、村田の心の叫びを何度聞いたかわからない。師と仰ぐ南京都高ボクシング部監督だった故・武元前川先生の教え子への願いは「五体満足でリングを降りてグローブを吊るしなさい」だった。 日本人には無理だと言われたミドル級で五輪の金メダルを獲得したボクサーはプロの世界でも世界のベルトを巻き、本物の世界王者と“リアル世界一”をかけて戦った。人間臭さと人格を兼ね備えた稀代の名ボクサーの功績は永遠に語り継がれるだろう。 最後に。 村田後援会恒例の祝勝会が祝勝の2文字を「お疲れ様会」に変えて日付を跨いで都内で行われた。後援会側は、ダメージを負った村田は参加しないものだと考えていた。だが、ゴロフキンにあれだけ打たれたというのに午前1時を回って村田は、傷だらけの顔で律儀にひょこっと現れた。義と情に生きる漢は、愛すべき人たちの前でこんな昔話をした。 「中学の時に先輩に絡まれて、ぶっとばしたのに、次の日に学校に行くと僕がやられたことになっていた。自分の強さを証明するには、どうすればいいかと考えて、選んだのが、強い弱いがハッキリするボクシングです。五輪でメダルを取れば、強さを証明できる。世界王者になれば強さを証明できると思っていたが、最強ゴロフキンと戦いもしないのであれば、中学の時の自分に嘘をつくことになる。なんや口だけかと。今日自分に嘘をつかなくて済んだ。悔しいけれどスッキリもしている。20年前の少年・村田諒太に言ってやりたい。おまえは嘘をつかずにちゃんとやったぞと」 さいたまアリーナに奇跡は起きなかった。いや美しき敗者が、本物のボクシングとは何か、本物の生きざまとか何かを見せてくれた感動の一夜こそ奇跡だったのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)