なぜ村田諒太の”魂の戦い”は”最強”ゴロフキンに9回TKO負けしながらも人々の感動を呼んだのか…現役引退を決断
プロボクシングの歴史的一戦が9日、さいたまスーパーアリーナで行われ、WBA世界ミドル級スーパー王者の村田諒太(36、帝拳)がIBF同級王者のゲンナジー・ゴロフキン(40、ウズベキスタン)に9ラウンド2分11秒TKO負けを喫した。村田は2、3ラウンドと左右の強烈なボディ攻撃でゴロフキンをあと一歩まで追い詰めたが、4ラウンドからパンチの角度やタイミングを変える熟練のテクニックで流れを変えられると9ラウンドに右フックを浴びてプロ初のダウンを喫し帝拳陣営からタオルが投げ込まれた。最後まで勇気と誇りを胸に前へ出続けた村田のファイトに1万5000人のファンは熱い拍手を送り、苦しめられたゴロフキンは「緊迫しギリギリの状態で戦った」と明かした。また日本人には無理と言われた階級でミドル級世界最強ボクサーを追い詰め日本のボクシング史に爪痕を残したロンドン五輪の金メダリストは、この試合を最後に現役引退する意思を固めたことも明らかになった。
ゴロフキンが贈ったガウンの意味
誰一人席を立つ観客はいなかった。 「村田ありがとう」「ナイスファイト!」 声出し禁止のルールを破り、そんな声が飛びかい、勇気と誇りを胸にベルトを失った敗者への拍手が鳴り止まなかった。泣いている熱狂的ファンもいた。 「試合が終わっても、お客さんが帰らずに拍手をもらえた。その事実にほんの少し自分を評価してもいいんじゃないか」 1万5000人の万感のオベーションは、村田に、そんな感情を抱かせた。 リング上でゴロフキンはウズベキスタンの民族衣装「チャパン」を模したガウンを脱ぎ、村田に手渡した。「母国ではチャバンを最も尊敬する人に贈る習慣がある。敬意をこめて贈った」という。偉大なる王者が、村田の強さを認めた何よりの証だった。 夢を見させてくれた。 それは32年前に東京ドームで、マイク・タイソンがジェームス“バスター”ダグラスに敗れた”世紀の番狂わせ”を予感させるものだった。1ラウンドからガードを固めて前へ出た村田が、2ラウンドにロングレンジからの左ボディアッパー、中間距離からの右のボディストレートを2発叩き込んだのだ。ゴロフキンはひるみズルズルと下がった。3ラウンドにも、開始の数秒だけまとめてくる嵐の連打をやりすごすと突撃開始。今度は横殴りに右ボディを抉り、ゴロフキンは顔をしかめた。 こんなゴロフキンは見たことがない。KOチャンスだった。村田が常に前へ出てプレッシャーをかけ、左ジャブに対して右のストレートを何発もかぶせるのでゴロフキンはペースをつかめず明らかに戸惑っていた。陣営が練りに練った電撃作戦が見事にはまったわけだが、村田は違和感を覚えていたという。 「ボディは効いていたと思ったが、右ストレートはいなすというか、強く当たる距離で打たせてもらえない。ノレンに腕押しみたいでずらされる。あの技術が打たれ強いとされる理由なのか。右のパンチの感覚が合わなかった。対応力、技術的なところが一枚も二枚も上だった。僕にない経験、強い選手とやってきた差」 ヒットしているようには見えたが、頭を前に突き出すように距離をつめられ、あるいはガードが邪魔になり、村田は、拳の芯でぶち抜く感触を得ることができなかったのである。 息が上がり、腰も浮き、明らかに弱っていたゴロフキンは4ラウンドから反撃に転じる。歩くようにサイドに動きながら、距離を変え村田の動きを鋭く観察しながら空いた場所にパンチを変幻自在に打ち込んだきた。角度を変え強弱をつけながら四方八方から。耳の後ろをピンポイントで狙う“ゴロフキンフック”やヒジをL字にして頭の真上から飛んでくるフックもあった。 本田明彦会長は、その変化に気づいていた。 「途中から技術的なものに変えてきた。サイドから角度を常に変えて打ってきた。村田はブロックしているが、軽いパンチを3発くらいもらう。それが効いてきた。引き出しの多さ」 百戦錬磨のテクニックを前に村田も必殺のボディを打たなくなった。いや打てなくなった。