いい加減大人になれよ…若い世代からも強まる氷河期世代へのバッシング。ロスジェネ世代の〈最大の不幸〉とは?
サブカルチャーが、かれらを「永遠の若者」にする
また、かれら就職氷河期世代について特筆すべきもうひとつの重要な点は、かれらがいまもなおサブカルチャー・コンテンツ産業にとっては「上客」であり続けていることだ。 マンガにせよアニメにせよゲームにせよ、ここ最近の日本のサブカルチャー・コンテンツ業界は就職氷河期世代が多感な青春時代に熱中したであろう往年の名作の「復刻(リメイク)」を連発している(*1)。 それはかれらが、この国で急激な少子化が起こる前夜に生まれた「最後のまとまった人口ボリュームのある世代」だからでもある。コンテンツ産業にとっては、かれらの就職氷河期世代のノスタルジーを刺激する作品を現代に復刻することは、潜在的な顧客の規模が大きくコマーシャル的な期待値が高いことから、まったくの新規タイトルをゼロから開発するよりも商業的に優先されやすい。 しかしこのような「ノスタルジックなコンテンツのリバイバル」を提供する側の大人の事情が、コンテンツを消費する側の就職氷河期世代にとって「いつまでも自分が先端カルチャーの主役だ」という自意識の醸成に意図せず寄与してしまった。 マンガやアニメやゲームのトレンドが(年を重ねるごとに)自分の好みとはズレていき──ようするに、ついていけなくなって──人はそうしたコンテンツから「卒業」していくのが世の一般的な流れだ。しかし就職氷河期世代はつねに「リメイク」や「リバイバル」と称して自分たち好みの作品を一定量供給されていた。業界からはずっと自分たち向けのコンテンツが提供され続けているからこそ、かれらはマンガやアニメやゲームを「子どもが楽しむものにすぎない」と距離をとって卒業する機会がなかったのだ。 もちろん就職氷河期世代内(主として勝ち組側の人びと)では、年相応に結婚や子育ての話題に主たる関心がうつっている人もいる。しかしそうした「家庭人」としてのロールモデルを得られなかった人は、コンテンツ産業によって「終わらない青春時代」を擬似的に体感させられ、今日も「コンテンツ・カルチャーを全力で楽しむ人」のようなフレッシュで若々しい雰囲気を醸し出している。つまりライフステージの二極化が著しくなっているのだ。