シリア・アサド政権崩壊 “独裁政権”終焉で世界に影響は?大統領は“後ろ盾”のロシアに亡命 今後のパワーバランスは?世界に与える影響は?須賀川記者解説【news23】
アサド大統領の行方について国営タス通信は、「アサド大統領と家族がモスクワに到着し、亡命が許可された」と報じました。 9日、ロシアのペスコフ大統領報道官は「プーチン大統領がアサド氏の亡命を許可した」と明らかにしました。アサド氏の居場所は言えないとし、プーチン大統領との会談の予定は現時点でないとしています。 またロシア外務省は声明で、アサド氏が“平和的な手段で権力移譲を実行するよう指示した”と明らかにしています。 シリア解放機構 ジャウラニ 指導者 「この勝利はイスラム共同体の新たな歴史の1ページとなる。この勝利はこの地域の新たな歴史だ」 ダマスカスのモスクに集まった民衆にこう訴えた「シリア解放機構」の指導者で、反体制派勢力を主導したジャウラニ氏。 市民からは・・・ 市民 「この50年間、私たちは(自由に)話すことが出来ず、みんな極秘刑務所のような状況で暮らしていたんだ」 ■アサド親子で半世紀 “独裁”が終焉 アサド政権が終焉を告げるまでシリアで何が起こっていたのでしょうか。 2000年、父親の後を継いで就任した次男のアサド大統領。親子2代にわたって半世紀以上、独裁政治を続けてきました。 2011年、中東で起きた民主化運動「アラブの春」。シリアでも反政府デモが相次ぎましたが、アサド政権は武力で弾圧し、反体制派勢力との内戦に突入しました。 ロシア軍の支援を受けたシリア軍は、市街地への空爆を繰り返し、子どもを含む一般の市民が犠牲に。さらに反体制側に対して大量破壊兵器の一つ「化学兵器」を使用した疑いも。 国外へ避難する人が相次ぐ中、2015年にシリアから脱出した船が転覆し、3歳の男の子の遺体がトルコの海岸に打ち上げられる悲劇が。 2017年にJNNの単独インタビューに応じたアサド大統領。 アサド大統領 「我々は死傷者をなくすため、できる限りのことをした。市民のために叫んでいる人たちは、シリアやロシアが一般市民を殺しているという証拠を一つでも出したか?」