清少納言も「不倫」をしていた!? 定子さまを通じて出会った「イケメン歌人」 行成と大ゲンカをした藤原実方とは?
NHK大河ドラマ「光る君へ」でファーストサマーウイカが演じ、大注目の清少納言。彼女には恋人がいたと噂され、そのお相手というのが、光源氏のモデルだったと囁かれることもあるイケメン歌人・藤原実方であった。二人が交わした贈答歌を見る限り、清少納言の方が想いを募らせていたようだ。どんな関係だったのだろうか? ■光源氏のモデルとも言われるイケメン・藤原実方 「清少納言に恋人がいた」という話を聞いたことがあるだろうか? もちろん、夫ではない。その名は、藤原実方(さねかた)。道長からみれば「またいとこ」にあたる御仁である。 勅撰和歌集に64首も入集しているというところからすれば、歌人としても著名だったのだろう。おまけに美男とくるから、相当モテたに違いない。一説によれば、20人以上もの女性と浮名を流したというから、プレイボーイだったというべきか。 そのせいかどうか定かではないが、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルだったと囁かれることもある。風流才子好みの清少納言としても、おそらくは気になる存在であったに違いない。 ■中宮・定子の邸で知り合い、歌を送り合う仲に その二人の仲が噂されるようになった元種というべきが、彼女が定子に仕えていた頃に詠んだとされる贈答歌である。中宮・定子の邸に実方もたびたび訪れていたようで、その際に知り合った二人が贈りあったものであった。 とある日のこと、居並ぶ女房たちと何気ない会話を楽しんでいた実方。そそくさと帰ろうとした時、清少納言が名残惜しそうに歌を送ったという。それが、「忘れずよまた忘れずよからはらやの下たくけぶりしたむせびつつ」であった。 久方ぶりにお会いできたのに、そっけない方ね。私のことを、もうお忘れになったのかしら……とでも言いたげな、意味ありげなものだったから、それを見た後世の人々が、二人の仲を疑ったのも無理はない。 それに対する実方の返歌が、「しづのをは下たく煙つれなくてたえざりけるもなにによりそも」。歌に馴染みの薄い筆者には、これを読み解くことは難しいが、グッと端折っていえば、「忘れるはずがないじゃないか」というあたりだろうか。 ■行成が歌をけなし、実方が冠を投げ捨てる大ゲンカに ここで少々、実方が陸奥守に任じられた経緯について、説明しておく必要があるだろう。よく流布しているお話としては、実方が、一条天皇の面前であるにもかかわらず、能書家としても知られた藤原行成と口論を始めたことだろう。 元はと言えば、実方が歌を行成に貶されたことに腹を立てていたという伏線があったようである。口論の末、実方が行成の冠を奪い取って投げ捨てたとか。 当時の男性は人前で冠を外すということが相当恥しいことだったようで、本来なら怒って当然の仕打ちであった。それにもかかわらず、行成は物ともせず、主殿司に冠を拾わせて平然としていたという。 一部始終を見ていた一条天皇が、行成の応対を賞賛。挙句、彼を蔵人頭に任じたという話が、まことしやかに伝えられているのだ。一方、実方はといえば、一条天皇から叱責され、「歌枕でも見て参れ」とばかりに、陸奥へ左遷させられてしまったとも。 ■「夫のある身」での恋仲だった? ともあれ、実方が995年早々、陸奥守に任じられて旅立つ前のお話である。その実方に対し、清少納言が名残を惜しんで意味ありげな歌を読んだ訳だから、二人の仲が深い関係であったはずと勘ぐられるのも当然であった。 ただし、ここで気になるのが、彼女の置かれた立場である。995年頃、あるいはそれ以前といえば、彼女は最初の夫・橘則光と「すこし仲あしうなって」疎遠となり、いつの間にやら離縁した後、のちに摂津守となる藤原棟世と再婚(986年頃かそれ以降か)した後のことのはず。つまり、夫のある身だった可能性が高いのだ。 夫婦仲がどのようなものだったかわからないが、定子が亡くなって(1000年)宮仕えを終えた後、夫を頼って摂津へと向かっていることから鑑みれば、二人が別れたという訳ではなかっただろう。 となれば、彼女は人妻だったというべきか。その人妻が、実方に恋心を寄せていたとすれば、今ならパパラッチあたりが飛んできそうなお話である。夫である棟世がこの二人の贈答歌を知っていたとしたら、いったいどう思っていたのか、一度聞いてみたいところだ。 ともあれ、幸か不幸か、おそらく清少納言は、実方と再会することはなかった。それは、実方が陸奥へと向かい、その3年後に、彼の地で横死したからである。馬に乗ったまま、笠島道祖神の前を通り過ぎたことで、神の怒りを買って落馬させられたと伝えられている。さらには、「蔵人頭になれなかったことを恨んで、その霊が雀となって都へ戻り、御殿の台盤所の米を食い散らかした」とも。 真偽はともあれ、彼は二度と都に戻ることはできなかった。それを知った清少納言の想いがいかばかりだったのか? これまた、気になるところである。
藤井勝彦