伊藤美誠は泣きながら母に伝えた「卓球が嫌になった状態でやめたくない」 五輪選考レースが終わった今だから明かせる当時の思い、そして世界ランク1位へ新たな挑戦
「小学4年ぐらいから海外の試合にいっぱい出させてもらった。海外で成長したと思っている。すごくアグレッシブな卓球だからこそ、日本人もびっくりした。自分の卓球だからこそ海外に合う。海外の感覚や面白さを受けてプレーしていた。そういうのが必要だと感じた」 国内戦と世界ツアーを並行して戦う過密日程でコンディション調整に苦しんだ。選考レース中、体調不良や腰の痛みなどで満足にプレーできないことも多かった。 「海外にいても日本に合わせちゃう変な嫌な感じがあった。海外で成長したい気持ちがあったから海外も行くと選択したけど、海外と日本で毎回(使う)球も違うし、移動も相当疲れてタフな状態だった。それも刺激と思えば良かったけど、体が自然と悲鳴を上げた」 ▽向き合い方を変え、楽しむ気持ちを取り戻せた 2024年1月の全日本選手権まで同い年の平野美宇選手(木下グループ所属)と争ったシングルス代表の2枠目は僅差で逃した。パリ五輪の団体要員にも選ばれず、3大会連続の五輪出場はならなかった。しかし、選考レースの後半、試合でベンチにコーチを置かないことや、参戦するTリーグの日本生命の選手と練習するなど競技との向き合い方を変え、楽しむ気持ちを取り戻せた。 「本当にやり切った。(2022年3月の)シンガポールの時から楽しい卓球が全然できなかったけど、やり方や環境を変えたことで楽しいと思えるようになった。取り戻せて良かった。シングルス(の枠)を取れなかった時は超悔しい。でも最後にみんなから『残念だったね』じゃなくて『お疲れさま』と言ってくれた言葉がすごく染みた」
「(ことし1月の)全日本が終わった後、やめたいけど、もうちょっとやりたい気持ちもあった。だからこそ全日本が終わった日に本当にやりたいことを考えた。世界の大会に出て感覚や実力をもっと上げたいし、世界ランク1位を目標に頑張ろうと思った」 「世界選手権や五輪は一発の大会だから金メダルを取る確率が(世界ランク1位より)ある。でも世界ランク1位は積み重ねで、本当の実力。そこが新たな目標になった」 世界ランキングは過去最高が2位。直近では東京五輪開幕直後の2021年7月27日付でマークした。今年の3月5日付は12位。7日に始まったシンガポール・スマッシュや3月下旬のチャンピオンズ仁川など格が高い大会が続くが、大きな目標にどのように挑むのか。 「当時は1位との差がすごくあった。中国選手は大きな大会に1回出たら大体決勝までいくので、自分たちの3大会分くらいのポイントを取る。1大会で、どれだけ上に行けるかが大事になる」