【毎日書評】なぜ「シティ・ポップ」は悲しい歌詞でも悲哀を感じないのか?
シティーポップの不思議な新鮮味
シティーポップについての明確な定義はないものの、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれた大人向けの洗練されたロックと、フュージョン(ジャズをベースにロックやソウルなどの要素をも取り込んだジャンル)のテンション・コードやブラック・コンテンポラリー(ブラコン)の16ビートで装飾されているところに特徴があると著者は指摘しています。 また、70年代までのアイドル歌謡と大きく異なるのは、悲しい歌も明るく聞こえるという新しいサウンドにあったともいいます。 そしてここでは歌謡曲とシティーポップの差を明らかにするべく、昭和50年9月の研ナオコ「愚図」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)(27万2350枚)と、同58年11月の杏里「悲しみがとまらない」(作詞:康珍化、作曲:林哲司)(42万2980枚)を比較しています。 「愚図」の主人公の女性は、友人から好きな相手を聞かされると、三枚目を演じながら両者の仲立ちを買って出る。 しかし、彼女もその相手の男性に片思いであった。本当の自分の思いを打ち明けることもできず、身を引くという悲恋ものである。この歌詞にブルース形式の旋律がつくと、とても立ち直れないような悲しみが伝わってくる。(325ページより) これに対して「悲しみがとまらない」では、主人公の女性が友人の女性に交際相手の彼氏を会わせたところ、それがきっかけとなって彼氏を奪われてしまうという悲劇である。 ただ、どのようにして彼氏を奪われることになったか、「愚図」のように女性が自分を責めることはしない。最後まで彼氏を奪われてしまって「悲しみがとまらない」という事実だけが伝わってくる。(325ページより) 本来であれば「愚図」の彼女どころではない「悲しみ」のはずなのに、全体的にカラッとした曲調であり、胸を締めつけられるような印象は皆無。“I Can’t Stop The Loneliness”という14の音数を7の音符数で示した英語譜割り始めるところにも、悲しさを抑止する効果が。 また、研ナオコが悲しげな表情で歌うのに対し、杏里は笑みを浮かべながら歌っており、そこにも違いが表れているといいます。これは、非常に興味深い指摘だといえるのではないでしょうか。(324ページより)