【毎日書評】なぜ「シティ・ポップ」は悲しい歌詞でも悲哀を感じないのか?
昭和歌謡に関する書籍は、これまでにも数多く出版されてきました。昭和40年代に「懐メロ」ブームが起きたことが発端だったようですが、『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』(刑部芳則 著、中公新書)の著者によれば、それらの大半は歌謡曲を懐かしむ要素が強いものだったそうです。 つまり、その楽曲が生まれた意味や、歴史のなかでの意義づけができていないということ。そればかりか発売枚数が違っていたり、発売禁止ではない曲を発禁扱いにしているなど、不正確な情報も少なくないのだとか。 しかし昭和歌謡史の本質は、楽曲の生まれた背景や歴史的意義はもちろんのこと、昭和初期に登場した「流行歌」の存在について考察しない限り見えてこない──著者はそう訴えています。 「流行歌」である歌謡曲は演歌やポップスなど細かいジャンルに分けられていきましたが、それらはもともと歌謡曲という親から生まれたもので、歌謡曲の要素を色濃く残した子どもたちであるというのです。そうした流れを理解するには、戦前・戦中・戦後と時代を切り分けることなく、歌謡曲の歴史を検討する必要があるわけです。 そこで本書では、筆者の思い出としての同時代史を描くのではなく、日本史研究の専門的な手法を用いながら、日本近現代史として昭和歌謡史を描いてみたいと思う。したがって、従来の昭和歌謡に関する書籍のように、この曲が流行していた頃に、こんな事件があったとか、こんな物が流行っていたなどと言う年表を文章化するようなことはしない。(「はじめに」より) これまで、昭和歌謡史が日本近現代史の研究対象にされることはなかったかもしれません。そんななかにあって特徴的なのは、本書が「日本史の歴史研究者である著者による初の昭和歌謡史本」である点。あくまで日本近現代史の研究対象として昭和歌謡史に焦点を当てているわけです。 きょうは第七章「歌謡曲の栄光から斜陽」のなかから、近年リバイバル・ブームが起きている「シティ・ポップ」に関する記述を抜き出してみたいと思います(以後は本書に従って「シティーポップ」と表記します)。