視聴率が取れなくても、WOWOWがパラアスリートのドキュメンタリー番組『WHO I AM』を作り続ける理由
制作者側のストーリーを事前に決めない
取材の時に気をつけたことがある。制作側のストーリーも事前に作ることはしない。撮影する側の意図に、作品が誘導されることを避けるためだ。 たとえば、車いす陸上女子のタチアナ・マクファデンは、旧ソ連で生まれた時から両足が動かず、児童養護施設に入っていた。冷戦終了後の混乱で、施設には車いすもなく、幼い頃は逆立ちで歩いていた。ところが、逆立ちの生活によって両腕とそれを支える筋肉が発達したことが、車いすレーサーとして伝説的な強さにつながっていた。 「メディアの人間なら、この話を聞いたら『これは物語にしやすい』と思うでしょう。でも、それだけで番組を作ることはしません。困難な子ども時代だけではない魅力が彼女にはあるはずで、それを伝えたかった。障害そのものを描くことはドキュメンタリーを制作するうえで避けて通れませんが、どのようにバランスを取って取り上げるかは、いつも議論をしています」 実際の番組では、マクファデンがアスリートとして大事にしている「ヤサマ(やればできる)」というロシア語の言葉が紹介され、独自のトレーニング方法の様子が、練習拠点にしているイリノイ大学にまで密着して撮影されている。 もちろん、障害についても描かれているが、自らの経験をイリノイ大学の授業で学生たちに話す姿も紹介されている。その後、米国人の里親に引き取られることになり、渡米した彼女と新しい家族との関わりも重要なポイントになっている。 実際にどのようなドキュメンタリーになったかは、WOWOWオンデマンドで無料公開されているので見てもらえると理解できると思うが、一般的なスポーツドキュメンタリーとは違う「人間としてのアスリート」に迫る作品だ。 そのことは、WOWOWの上層部にも伝わった。放送前の試写の段階で、番組を高く評価したのは、社長の田中晃氏(現・会長)だった。 田中氏は日本テレビの出身で、プロ野球の巨人戦や1987年の箱根駅伝で初の生中継を成功させた。関東地方の大学生のローカル駅伝大会である箱根駅伝を、日本の正月の風物詩に発展させたスポーツ中継のスペシャリストだ。その田中氏が、試写が終わった後にこう感じたという。 「純粋に『映像にものすごい力がある』と思ったんです。ただ、太田には失礼だけど、視聴率なんて最初から期待してなかったし、たくさんの人に見てもらえるとは思えなかった。実際に現場の人たちは、視聴率が上がらなくてがっかりしてたようです。でも、私は気にしなくていいと思った。だって、圧倒的な映像の力があったから。だから、有料放送の『WHO I AM』は活動の入口であって、もっと外に出ていこうという方針にしました」 これで、『WHO I AM』の未来が決まった。2016年の放送開始後、『WHO I AM』の合言葉は「放送をゴールではなくスタートに」になった。 有料放送の枠内で放送するだけではなく、金メダリストを招聘した教育機関での授業、映像の教材化、書籍やコミック化など、パラアスリートやパラスポーツ自体の魅力を伝える教材として、社会に広く発信する活動に力を入れた。 作品の多くが無料公開されているのも、もっと社会に広くパラアスリートのことを知ってほしいという思いからだ。太田氏は言う。 「番組は、いわゆる高い視聴率が取れるわけでも、シリーズを通じて爆発的にWOWOWの加入者が増えるわけではないかもしれません。一方で、教育用の素材として大学などで講演をお願いされる機会が増えて、すでに100回を超えています。教育教材として学校現場で映像が使用されることはWOWOWとしてもとても幸せなことだと感じていますし、社会とつながることのできるシリーズだと考えています」
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