「トリック・オア・トリート」の謎を追う、ハロウィンの起源からトンデモ都市伝説まで
トリック・オア・トリートはどのように広まったのか
米国でトリック・オア・トリートが広まったのは第2次世界大戦後、配給が終了し、お菓子が再び手に入りやすくなってからだ。郊外の開発が進み、子供たちが家から家へと移動しやすくなったことも、この伝統の台頭に拍車を掛けた。 1950年代に入ると、ハロウィンのイメージや商品にその人気が反映されるようになり、ハロウィンは消費主義的なものになった。衣装も、幽霊や海賊を模したシンプルな手づくりのものから、テレビや映画の人気キャラクターの大量生産品に変わっていった。 トリック・オア・トリートの人気が高まるにつれて、大人はリンゴやナッツ、手づくりのお菓子より個包装されたキャンディーを配る方が楽だと考えるようになった。キャンディーは1800年代、子供たちが引っ張ることのできるタフィーとして米国のハロウィンパーティーに登場し、今や定番「トリート」の座を確固たるものにしている。 20世紀半ばまでに、ハロウィンのいたずらはほぼ消滅した。子供たちはただキャンディーをほしがり、明かりをつけている家の人が応じるようになった。明かりが消えていたら、応じる気はないということだ。 しかし、ハロウィンが健全な家族の行事として定着する一方で、1960年代にはいくつもの都市伝説が生まれ、子供たちが見知らぬ人からキャンディーをもらうことは本当に安全なのかという懸念が拡大した。かみそり入りのリンゴ、麻薬入りのキャンディーといった都市伝説の起源をたどるのは難しいが、1964年、ニューヨークの主婦が子供とは言い難い訪問者たちに腹を立て、パッケージ入りの犬用ビスケットやアリ退治用の餌、スチールウールを渡してニュースになったことがある。 この事件をきっかけに、子供たちは包装されていないお菓子を捨てるよう教育された。そして、市販の包装されたキャンディーが主流になり、お菓子メーカーに勝利が舞い込んだ。
キャンディーブーム
第2次大戦後にトリック・オア・トリートが拡大してから、チョコレートは最も人気があるお菓子の座に君臨してきた。2009年までに、ハロウィンはチョコレートの売り上げが最も多い米国の祝日となり、その金額は増え続けている。 全米小売業協会によれば、ハロウィンは今や米国で2番目に商業規模が大きい祝日であり、米国民は2024年、ハロウィンのキャンディーに約35億ドル(約5400億円)を使うと予想されている。そのかなりの部分がリース・ピーナッツ・バターカップに投じられる。全米規模の販売会社キャンディー・ストアによれば、このお菓子は米国で最も愛されているハロウィンのキャンディーだ。 1880年代に製造が開始されたキャンディーコーンもハロウィンの定番だが、米国で最も人気のないハロウィンのお菓子でもある。全米菓子協会によれば、オレンジ、黄、白の円すい形をしたこのお菓子は毎年1万6000トン近く生産され、そのほとんどがハロウィン用に販売されるという。
文=EMILY MARTIN/訳=米井香織