森永卓郎「ステージIVの膵臓がん。来年の桜は見られないだろうと言われても、抗がん剤治療、オプジーボ投与で〈後始末〉のために」
経済アナリストとして長年活躍し、歯に衣着せぬ弁舌にファンの多い森永卓郎さん。2023年末にがんであることを公表したが、今も病気と闘いながら、使命感をもって仕事を続けている。現在の体調と、仕事への思いを聞いた(構成:山田真理 写真提供:森永さん) 【写真】「見られないかも」と言われた桜の時期も過ぎ * * * * * * * ◆文章が一文字も書けなくなって 長年の不摂生で太りぎみだった私は、15年前にかなり重篤な糖尿病と診断されたことがあります。その時は投薬とダイエットで克服したのですが、その後も念のため定期的に検査だけは受けていたのです。 その主治医から昨年の秋、「このところ体重が落ちすぎているから、少しくわしく調べたら」と勧められました。確かに普段より4~5キロ落ちていたこともあり、11月に埼玉の自宅近くの病院で人間ドックを受けることに。 するとCT検査で冠動脈のまわりに何かモヤモヤした影が映り、それを見た担当の医師から「これはがんから浸潤してきたもので、おそらく膵臓がんだろう」と告げられました。それもステージIVだから、「おそらく来年の桜は見られないだろう」とも。 しかし私は非常に疑り深い人間なので(笑)、最初の診断だけでは信じ切れなかった。それでがんの画像診断の名医と呼ばれる東京の病院の先生にセカンドオピニオンを取り、続いて国立がん研究センターでやはり名医と名高い先生へサードオピニオンを聞きに行きました。 ところが、私の検査結果を見て先生たちが口を揃えたのは、「膵臓がんのステージIV」という結論だったのです。 そうなると素人にはもう抵抗のしようがありません。私は診断結果を受け入れ、家族やマネージャーとも相談のうえでその年の12月、メディアを通じて自分のがんを公表しました。
余命宣告について、私自身はもともと生への執着が薄いこともあって、「ああそうなんだ」という感覚でした。ただ、「後始末はきちんとしたい。中途半端なまま死ぬわけにはいかない」とは強く思ったんですね。 もちろんラジオ番組や講演会などの予定もありましたが、一番にはその時点で9割がた仕上がっていた本(『書いてはいけない』として刊行)を、何とか最後まで書き終えたいということがありました。 そのため12月27日、ラジオの生放送を終えた足で病院へ向かい、抗がん剤による治療を始めました。 ところが抗がん剤には相性というものがあるらしく、私にはその薬がまったく合わなかった。投与が始まるまでピンピンしていたのに、自宅に戻った翌日から急速に体調が悪化。 29日には自力で立っていられなくなり、食事はおろか水分も受け付けず、家族によれば3日間でイチゴ2~3粒しか食べられなかった。自分でも「ああ、このまま死ぬんだな」と覚悟するほどの状態になりました。 何より最悪だったのは、思考能力が完全に失われ、一文字も書けなくなったこと。これでは治療を始めた意味がありません。
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