《至極の名言に学ぶ》稲盛和夫さんが生前語ったメッセージ “運命から見放された”と絶望しながらも「前向きに明るく人生を生きていこう」と思えた理由
運から見放された自分
私は子どもの頃から、「こういう方向に行きたい」と自分が希望しても、その通りにかなったことは一度もなかったのです。 中学を受けては滑り、再び受けては滑り、やっと高校に行き大学を受けては滑り、そして就職試験を受けても滑りというように、自分がやることはことごとくうまくいかないと思っていました。 そのため、クジ引きで他の人が当たることがあっても、私は絶対に当たらないという、自信めいたものまで持っていました。いわば、自分は運命から見放されているために、何をしてもうまくいかないのだとまで思い込んでいたわけです。 そのとき、「世をすねて渡ろう」という思いが、私の心の中にムラムラッと起こってきたのです。 みなさんも、ひどい目に遭うと、「なんで自分はこんな目に遭わなければならないのだ。自分がどれほど悪いことをしたのか」と世を恨んだり、妬んだりする気持ちが起こってくることと思います。 私もそういう気持ちになり、「どうせうまくいかない人生なら、世をすねて渡ろうか」とまで考えたわけです。 しかし、私の家には、自分の進学をあきらめ私を大学に行かせてくれた長兄や、私ががんばって稼いでくれることを待つたくさんの弟や妹がおりました。 そのため、私は「たしかに今は運が悪いし、何もうまくいかない。しかし、神さまは公平に見てくれて、今度は、私にだって幸運を授けてくださるだろう。前向きに明るく人生を生きていこう」と、無理矢理にでも思うことにしました。
入れたのはつぶれかけの会社
そして、先生の紹介を通じて、やっとのことで京都の会社に就職することができました。しかし、その会社はすでにつぶれかかっていたのです。 私は、あまりお金を持たずに鹿児島から京都へ出てきました。そして、お給料をもらうまでの1カ月間だけ辛抱すればいいと考え、何とか食いつないでいたのですが、その給料日になっても給料が出ないのです。 会社からは、「お金が準備できないので、1週間待ってほしい」と言われるのですが、1週間待つと、また「もう1週間待ってくれ」と日延べされるような有様です。 私は、「どんな困難があろうとも、どんなに苦しいことがあろうとも、前向きに生きていこう」と心に決めていましたが、実際にはこのような職場環境でしたので、文句も言いたくなるし、暗い気持ちになったこともたびたびでした。 しかし、だからこそ前向きに明るく振る舞って生きていこうと、私は常に自分を励まし、自分たちの会社をおこしたあとも、誰にも負けない努力を続けていきました。 それから41年が経ちますと、そんな私が経営する企業グループは、2兆3000億円という売上規模を誇る会社に成長することができたのです。少年時代からずっと不運続きだった私に、このようなことができることなど、とても信じられないことなのです。 私はこのことを、23歳からずっと「人生というものは決して悪いことばかりではない。私にもきっと幸運が訪れるはずだ」と信じ、ひたむきに努力を続けてきた、その結果だと考えています。 明るく前向きに人生を歩んできた結果として、今のすばらしい人生があるのだとつくづく思うのです。