山田邦子「昭和は危険な働き方だった」乳がんになって気づいた睡眠の大切さ
OECD(経済協力開発機構)が2021年に行なった調査によると、日本人の睡眠時間は7時間22分で33カ国の中で最短だった。その背景には、「寝ずに頑張る」ことを美徳とした昭和の働き方の影響があるという。そんな中、昨年、睡眠の質が向上するという理由で乳酸菌飲料の「ヤクルト1000」が大ヒット。日本人が"睡眠"に対する潜在的な改善欲求を持っていたと言われている。芸能活動43年のタレント山田邦子さんは、休みなく働いた20代を経て40代で乳がんを発症し「睡眠の重要性を思い知らされた」と語る。山田邦子さんに"元気に働く"考え方について聞いた。(Yahoo!ニュース Voice)
睡眠を削って働いた20代
――バブル時代の働き方や生活リズムを今改めて振り返ってみるといかがですか? 山田邦子: 40年前くらいに“過労死”という言葉が流行った時期があり、「一体どこからが過労死になるのだろう」と仲間たちとふざけてよく話し合っていました。それくらい20代の頃は睡眠を取らずに働くことが多かったですね。例えば、1日24時間しかないのにスケジュールには30時終わりと書いてあるんです。そのため、移動中のタクシーの中で15分ほど寝たり、自宅に帰れないことも多かったので楽屋で布団を敷いて仮眠したりしていました。 改めて振り返ってみると、昭和の時代は本当に危険な働き方だったと思います。口約束で契約書もないので、具合が悪くなって仕事ができなくなると「あなたはもういらない」と言われてしまうかもしれない。だから少しくらい体調が悪くても「大丈夫です!」と無理をして頑張っていました。最高で5日くらい完徹をすることもありました。そこまでして頑張れたのは、当時はまだ若くて勢いもあったし「レギュラー番組が決まったよ」とか「今度はあなたが主役よ」とか仕事が取れると嬉しかったからだと思います。周りの共演者も同じ状況だったので、それが当たり前の非常に危なっかしい時代でしたね。 ――生活が変わるきっかけはあったのでしょうか? 山田邦子: 40代に入り少し仕事が落ち着いて、自分の時間ができるようになった途端、あっという間に病気になってしまったことがきっかけでした。若い頃は楽しいと思って働いていましたが、気づかないうちにストレスが蓄積され、無理がたたって身体を壊してしまったんだなと思っています。 2007年に乳がんと診断され、手術、治療することになったのですが、当時はがんに対しての知識が全くなくとても不安になりました。「がん=死」のようなマイナスなイメージを抱いていて、担当医に「私、死ぬの?」と尋ねたら「死なない!」と即答してくださって、大袈裟ですけどその一言で命拾いしたような気持ちになりました。そして安心したのか手術・入院の6日間、私はこんなに寝るんだというぐらい眠り、心身ともにすごく休まりました。退院の日は、頭がすっきりして目の前のモヤモヤもなかったし、その時に改めて、やっぱりちゃんと寝たほうがいいんだなって感じて体に「今まで頑張ってくれてありがとう」とも思いました。 ――がんを経験してどんな生活に変わったのでしょうか? 山田邦子: 一番は規則正しいサイクルで生活するようになりました。同じような時間に寝て起きる、陽に当たる時間も同じような時間を意識する、そういうサイクルを無理にでも作るようにしました。昔は全然意識したことがなかったのですが、今はもうこの生活が楽ですね。やっぱり規則正しい「食事」「運動」「睡眠」というのはすごく大事だということに病気になって気づかされましたね。